皆さん、マスクしてますか?
わたしは、オープンエアーで周りに人がいない場合や、自転車に乗ったり、山歩きをする時にはマスクを付けません。
息苦しく、メガネが曇るのも鬱陶しいし、なによりかえって体に悪いと感じているから。
息苦しいことは体に悪いかと言えば、今朝目醒めた時に、『そういえば、マラソンでは高地トレーニングってあるな』とふと思いつくと、筋トレには加圧トレーニングがあるなとも思いついた。
どちらも、十分に酸素が摂取できないというのが共通点で、そのことを逆手に取ったトレーニング法で、大会や本番などここ一番の際に最大の効果が得られることが目的のトレーニングで、トレーニングに際しては注意点もある。
体に効果的な息苦しいもあるのだ。
早速Twitterで検索すると、ランニングを趣味とする人で意識高い人たちの間では、マスクをしてのランニングは高地トレーニングに匹敵するという話は珍しくないことが感じられた。
逆境をプラスにするという発想が感じられる。
今朝のテレビで、快進撃を続ける池江璃花子さんは練習では呼吸をし辛くさせるためにシュノーケルを使って泳いでいると報じていた。
しかし、マスクをしてのトレーニングに高地トレーニング効果や加圧トレーニング効果を感じてる人に向けて、『それは熱中症の予兆ですよ』と指摘する声もあった。
本当の正解は分からないが、人間の行動とは、つくづく煩悩との闘いだなと思える。
良かれと思うことが必ずしも良くなくて、ダメだと思うことが必ずしもダメではない、そんなことは多数ある。
趣味やスポーツとして自転車に乗ってる人だったら、走ってて辛いと感じるのは坂道よりも逆風の向かい風という人が圧倒的に多いはず。
坂道の辛さはモチベーションを高めるのに対して、逆風はやる気と体力を容赦なく奪っていく、傍目には辛さが伝わらない分だけ余計にモチベーションが低下するので、自分がいかにヘタレかを教えてくれるかのようですらある。
不思議なことに、では追い風はありがたいかというと、その存在にはあまり気付かない、向かい風の存在にはすぐに気付くのに追い風には気付きにくい。
今日はなんだか調子いいなと思った時に、『ああ追い風のせいか』と気付くと少しガッカリする。
コロナのせいでマスクが必須になった日常生活に、追い風が向かい風に変わったような重苦しさを感じる人も多いだろう。
しかし、向かい風は、向きさえ変えれば追い風になる。
つまり、向かい風が吹いてる時は同時に追い風も吹いてるのだ。
こう考えると、根性論が恨めしくなる。
もっとも、実際の風は絶えずコロコロ向きを変えるし、渦を巻くような風も多いので単純に向きを変えたら追い風になるわけではないが、いずれにしても追い風を受けてる時はそのありがたさには気付きにくい。
追い風や向かい風の話を人性論に当てはめようとすると、追い風を感じられたのは運や境遇のせいだとは思わずに、努力や才能のせいだと勘違いしがちだ。
ひとつだけ言えるのは、気付きにくい追い風を強みとして活かせたということの入り口には、追い風に気付くセンスが必要になるのだろうということだ。
向かい風が重苦しいことは誰でも気付けるし、追い風の時に楽だな〜と感じることは誰でもできるが、追い風の時に追い風を活かそうとは多くの人がしない。
追い風を活かしていつも以上に頑張って少し成果が見えると、すぐに新たな向かい風を感じるようになる。
瞬間だけを切り取れば大した違いがあるわけじゃない。
しかし、一時が万事とはよく言ったもので、この違いは習慣の違いになりがちだ。
逆境や向かい風と争うことを説く話はたくさんあるが、追い風を掴めという話は何故か棚からぼた餅のような扱いを受けがちだ。
追い風を感じるとモチベーションが高まることは人生を楽しむためには必須のセンスだと感じられる。
そして、追い風の中には、自分の気持ち次第で吹き始めるものだってあるのだ。
追い風に気付き、時には自ら追い風を吹かせよう。