Twitterで『自転車』と検索入力すると、その後の予測変換には次のように出る。
今や自転車でもあおり運転は問題化してるのだ。
元々車道上では四輪車と二輪車(オートバイ)は敵対関係にあったのだが、二輪車人口が80年代半ばのピーク以降減少の一途を辿る中で、21世紀に入ってからは健康意識の高まりやクルマ離れもあり、自転車人気は高まっていった。
何を隠そうわたしも自転車大好き人間でオートバイ派からの転向組で自転車に再燃して15年くらいになる。
自転車に改めて乗るようになって、最初は道路上のお荷物にならないように、そして自分の身を守るために周囲に細かく気を配って控えめに運転していたが、数年経って徐々に自分のライディングに自信を持つようになると、積極的に楽しもうとする気持ちが芽生えてることに気付くようになった。
この積極的な気持ちは結構厄介で、TPOをわきまえずに自分の感情を優先させたくさせるのだ。
自分で自己分析すると、好きなことで且つ体を動かしてるとアドレナリンが分泌されてることが実感できるのだが、アドレナリンが分泌されると自分の世界を邪魔するものに不快感を感じる独り善がりの感情が盛り上がっていることにも気付くようになる。
自分を邪魔するものにはさまざまあるが、想像すれば頭に浮かぶことのほとんどが該当するだろう。
このアドレナリンゆえの独り善がりを抑えるためにずいぶん苦労と試行錯誤を重ねた結果かなり効果は出たのだが、ふとした瞬間にアドレナリンが勝つことをゼロには出来ずにいた。
Wikipediaのアドレナリンには、『交感神経が興奮した状態、すなわち「闘争か逃走か(fight-or-flight)」のホルモンと呼ばれる』と書いてある。
自転車に限らずあおりの意識が高まってる時は、アドレナリンが過剰に闘争心をあおっている考えると、わたしに関しては合点がいく。
アドレナリンの分泌で闘争心が過剰になってる場合、闘争意識を逃走意識にスムーズに変換できると良いのだ。
わたしの場合の対処法として、わたしの場合は闘争してるからアドレナリンが分泌されるとさらに過剰に闘争心が出るのだと自己分析した。
では何とわたしは闘争してたのかというと、自転車の場合だと重いギアを踏もうとして全力で格闘していたのだ。
自転車のトレーニングの本などには、軽いギアを使ってトレーニングすることを勧めるものが多い、特に成長期の人には重いギアは厳禁とすら書いてあるものもある。
心を鬼にして軽いギアを使うように心がけた、ちょうど良いと思うギアから3段くらい落とした時に、闘争心が薄らいだことに気付けるようになった。
重いギアは踏むことがトレーニングだと思っていた時は、何よりも嫌だったのは一旦上げたスピードを落とすことだったが、それは落としたスピードを上げるために再加速することが無意識のストレスになっていたと気付いた。
軽いギアを使っても、発進停止の機会が増えるとトレーニングとしての質は全く落ちないことにも気付けると、周囲に自然と気遣いができ、人に優しい運転も自然とできるようになる。
あおりという行為は、歪んだ闘争心の現れだと気付けると修正に向かうことは出来るが、対策としての正論は虚しいだけになりやすい。
アドレナリンがあおる闘争心は、逃走心とも紙一重だと気付くことが賢い対策を生むだろう。