『犯人は現場に戻る』、推理小説や刑事ドラマによく出てくるセリフだ。
最近は聞くことが減ったように感じるが、概ね事件というのは犯人や被害者の双方の日常が交錯する場が舞台になる。
犯人が現場に戻るのは、事件のことが気になるからだけではなく、その場所が日常だからではないか、ふとこんなことを思ったのはAIについて考えていた時だった。
人間には人それぞれに無自覚なルーティンと呼ばれる癖や習慣があると言われる、心理学では心の内面は仕草に現れると解釈する場合も多い。
AIが登場し発展する様子を見ていると、短期間で人間を越える処理能力を身に付けるAIの凄さに圧倒されるが、ふとAIが凄いというよりも人間が大したことないのではないかと閃いた。
犯人は現場に戻るということを個人的に実験したことがある。
わたしは事件の犯人だと設定し、ある地点を現場に設定する、わたしが日常頻繁に使う場所だ、正確にいうと使うというよりも必ず通ると言った方が相応しいだろう。
その場所を意識的に避け続けることが出来るかという実験だ。
結論から言うとかなり難しいのだ。
しっかりとあの場所は避けるぞと意識を持ってれば避けることはできるが、その意識が持続しにくいのだ。
つまり、無意識がルートを選択してると言わざるを得ない現実に気付くのだ、もちろんわたしだけの話だが。
ちなみに、歩くのか自転車なのか車なのかを変えるとルートの変更は容易だが、一度脳内に定着している無意識は残っているので、同じ方法で移動するといとも容易く再現され、気が付いたら無意識のうちに現場を通ってしまう。
本当の犯人との違いは意識の持続時間だろうが、強い意識が途切れて無意識で行動すると現場を通る可能性は大だ。
つまり、人間の行動はパターン化が簡単で、多様性に富んだ行動を取ってるようで型にハマったルーティンが多いのかもしれない。
行動の予定調和化が顕著だとも言えるかもしれない。
予定調和が嫌われるのは、自己嫌悪のようなものかもしれない。
このように考えると、AIが凄いと言うよりも、そもそも人間が大したことないのかもしれない。
少なくともAIの場合だったら、『現場を避けろ』とプログラムされたら二度と現場を通ることはないはず。
事件を繰り返すような人物はそのことを意識してるだろう。
日常の生活圏で事件を起こすと、ついつい現場に戻ることは避けられないと。
だから、病的に事件を起こす者の中には、土地勘のない場所を現場に選ぶのかもしれない。
この事件を知ってそう感じた。
2019年9月、茨城県境町の住宅で会社員の小林光則さん(当時48)と妻・美和さん(同50)が殺害され、子供2人が重軽傷を負った事件で、茨城県警は埼玉県三郷市在住の岡庭由征容疑者(26・無職)を夫妻に対する殺人容疑で逮捕した。
「Aは参考人ではありますが、メディアが前のめりに騒いだだけの印象を受けます。Aと小林さん一家のつながりがまったくないんです」
つながりがまったくないからこそ、被害者は選ばれたのかもしれない。
ニュース的には動機なき殺人になるかもしれないが、このような事件は増えこそすれ減ることないないかも。
不思議なことにも感じられるし、当然のようにも感じられるが、おそらく、わたしもあなたもAIから見るとかなり予測しやすい行動を取っているかもしれない。