新しいジャンルが誕生し、それがビジネスとしても成功していく様を目の当たりにしていたが、そのことをあえて指摘されなければ気付いていなかった。
生計立て辛かったピアニスト…YouTuberの台頭で変わる需要
今も昔もお稽古事の定番であるピアノだが、生計を立てられるのはほんのひと握りで、ある程度の年齢になると離れる人が常だった。しかし、このところ“ピアノ回帰”をする人が増えている。それを後押ししているのがストリートピアノという新たな文化、そしてYouTubeの演奏動画で人気を博している“ストピチューバー”の存在だ。
ストリートピアノYouTuberというのを、YouTubeという観点で捉えてると何も気付かないが、記事にあるように生計が立てづらいピアニストの活躍のステージの広がりと捉えるとハッとする。
コロナが出現する半年くらい前に何気なく検索する中で都庁ピアノという存在を知り、その流れでストリートピアノのYoutubeをよく見るようになった。
今やそれなりの大御所になった彼ら彼女らの多くは、ビジネスでもなければ儲かるからというわけでもなく、腕試しを楽しんでるように見えていた。
わたしはどんどん引き込まれたが、引き込まれた理由は少しづつ変わっていた。
最初は、ストリートピアノという異空間のおもしろさだった。
ピアノが上手いというのは大前提だが、わたし如きには弾ける人は皆上手く見えていたので、優劣の判断は付かなかった。
誰でも自由に弾けるが、独占は許されず、一人1曲もしくはせいぜい数分が持ち時間というのが、Youtubeで見てると引き際の美学すら感じさせてくれていた。
次の興味はどんな曲を弾いてくれるのだろうかという興味に移って行き、その場にいる観客や事前にYoutubeでリクエストを募ったりという双方向性のコミュニケーションに移って行った。
そんな時にコロナが発生し、当然の如くストリートピアノは中止されていった。
それなりのファンを獲得していたストリートピアノYouTuberは、ライブ配信に参入して行った。
それなりの環境でピアノと過ごした方は、自宅にピアノがありかつ防音もしっかりしてるだろうこともあり、人に迷惑をかけることなく音を出せたのだ。
ここが瀬戸際だったような気がする。
コロナ禍では、自宅拠点で自由に演奏できて配信できるということは、簡単なようでハードルが高いはず。
このタイミングでライブ配信しなければ、生まれていたコミュニケーションは断ち切れて、おそらく次はまたゼロからの出発になったはず。
ストリートピアノYouTuberは、コロナ禍でチャンスをゲットした数少ない人たちなのだ。
多分コロナ前には全く描けなかった人生展開のはず。
Youtubeの投げ銭機能なども追い風だっただろう。
新しい話題が少ない中でテレビ等にも着目されて、知名度も急上昇した。
今からストリートピアノに進出しても、同じ人生を望むことはできないだろう、それは努力などとは全く違う要素が重要だということを示している。
どれもこれも、後から理屈が繋がってるだけで、一番最初は『好きだから』『それしかできないから』という気持ちしか拠り所はなかったはず。
ビジネス論を語ることが好きな人はたくさんいるが、そんな人たち(わたしも含まれる)は勝算が感じられるものにしか反応しようとしない。
もちろんストリートピアノ市場はすでに飽和状態で、今知名度を獲得してる方々も維持することすら難しくなるだろう。
この流れから教訓を得るとすればただ一つだ、勝算があるように見えるものに手を出すのはすでに遅過ぎるのだ。
何もかもが速い展開を見せる現代では、他人より早く、他人とは違う展開をしなければいけないのだ。
結局、『好きだから』『それしかできないから』という気持ちしか拠り所はないのかもしれない。