当たり前のことには案外気付かないものだ。
ワイドショーや週刊誌がゴシップを取り上げるのは需要が高いからだが、ゴシップは嫌いだという世間の声も大きい。
好きな人と嫌いな人にはっきり分かれることは実は需要があるのだ。
嫌よ嫌よも好きのうちと言われたり、好きや嫌いの反対語は無関心であるように、両極端な反応が多いものには関心という需要があるのだ。
一方で需要とは関係なく、嫌いな人は敵になりやすい。
嫌いな人が好きなものを知ることは、敵の弱点を探る上で有効だとされる。
嫌よ嫌よも好きのうちということからすると、ミイラ取りがミイラになることもあるという意味ではリスクもあるが、それはそれで新しい自分の発見でもある。
一人一人が持つ価値観や経験の違いは、その人が持つアンテナやセンサーの感度に影響を与えるが、その感度は体調や気分でも変化する。
大事な話をします。人間は普段、精神を正常に保つため他者に共感する半径を無意識に小さく保っています。半径を広げすぎるとどうなるかというと、アフリカで飢えている子供たちに同情して食事が喉を通らなくなったり、自分だけ幸せなのはおかしいのではという気分になり、日常生活が送れなくなります。
— Testosterone (@badassceo) 2021年1月23日
ゴシップニュースに惹かれることは、毒抜きになる場合もあれば、毒の注入になる場合もある。
ゴシップに対する反応には支持したり同調する意見もでるが、多くは正論という反論になる。
コロナ禍で自粛警察なる人種が出現したが、この人種の拠り所は正論だが、不思議なことに自粛警察自体もゴシップ的な存在になっている。
上記で引用したツイートでは、共感する半径を小さく保つことの意義が書いてあったが、自粛警察は反感を感じる半径に振り回されているのだろうと思えてくる。
反感を感じることが目的になっているのかもしれない、そういう意味ではアンテナやセンサーが誤作動してるようなもので、誰の身に起きても不思議ではないところが怖い。
心に生じた隙間を埋めるために反感が必要だと思い込んでいるのかもしれないが、おそらく行動としては無意識に近いそうせずにはいられないもので自分でもよく分かっていないかもしれない。
たまたま自分の生活圏という小さな半径の中で見かけたために反応したのか、あるいは反感を感じる半径をわざと大きく広げているのか。
自粛警察のニュースに、自分がどう反応してるかを分析することは意義があるはずだ。
誤作動したアンテナやセンサーは、正常に戻せれば問題はないが、故障してしまったとすれば、人間の場合はどうすれば良いのだろうか。
人間だから自己修復の余地はあるだろうが、アンテナやセンサーが無くなっていればどうなるのか。
私のように毛根が無くなった者がハゲになるように、アンテナやセンサーを無くしてる者はどうなるのだろうか?
そうか、それがゾンビなのかもしれない。
ゾンビと言えば、一部で話題になっているのがゾンビ企業。
これは。。本来退場すべき企業がコロナ支援で生きながらえてゾンビ企業になっている、という見方もできるのか??
— 松平浩一(衆議院議員) (@ko_matsudaira) 2021年1月21日
「2020年の倒産件数、コロナ禍でも30年ぶりに8000件割れ 東京商工リサーチ」https://t.co/gegwgQbXgk
この発言は釈明を求める声も多いようで、
先日のツイートに多くのご意見ありがとうございます。この機会に改めて私の意見をお伝えしたいと思います。是非ご覧ください。https://t.co/g0DyKxhxTX
— 松平浩一(衆議院議員) (@ko_matsudaira) 2021年1月26日
コロナ禍であることも大きいだろうが、全てのネタはゴシップに通じ、ゴシップに反応する人はゾンビに通じる時代になってきたなと感じられる今日この頃だと思えてくる。