違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

Cool Japanの象徴が東京オリンピック!

2015年の7月、2020東京オリンピックに関するさまざまなケチの付き始めの最初だったような気がする。

 

 

大会エンブレムのデザインの盗用や不明朗な選考過程が取り沙汰され白紙撤回されたが、白紙撤回されたのはそれだけではなく新国立競技場の建設が着工3ヶ月前に中止された、莫大な建築費に対する世論の反対を受けてだった。

 

世間の不快感は大きかったが、利権を巡る構造の中で起きた出来事だったので、『ああ、またか』『やっぱりね』という気持ちを感じた人も多かっただろう。

 

ケチは付いてもそれは選手や競技に向けられたものではないので、オリンピックが始まれば競技だけでなく景気の点でも盛り上がるのは確実だった。

 

 

しかし、さらに追い討ちをかけたのがコロナウイルス。

 

オリンピックの開催が一年延期されたことで、その一年の間にもはや呪われているのかもと思えることが起きた。

 

利権などではないケチが次から次へと付き始めた。

 

これらのケチは、一年延期されなければ付かなかったケチだが、火種は存在していたのだ。

 

そういう意味では、コロナウイルスに感謝すべきかもしれない。

 

もともと失言癖があった大会組織委員長の森喜朗の女性蔑視発言に対して海外からNoが突きつけられオリンピックの最大のキー組織であるNBCが『森氏は去らねばならない』と発言するに至った。

 

森氏の後任人事を巡っても過去の流れを踏襲しようとして世間の不快感を煽っていたが、ほぼ同じタイミングで開花式の演出責任者が女性タレントを豚に見立てた演出を予定してることも発覚した。

 

 

この辺りでも、ドメスティックな日本の出来事としては予定調和的に罷り通っていたであろうことが、国際的には許されないこととして顕在化したように感じていた。

 

ここまでで十分にオリンピック関係者にとっては呪われた東京オリンピックとなっていたはずだが、開幕間近のここに来てトドメを刺すように海外にも報じられる不快な出来事が発覚した。

 

 

小山田圭吾の開会式楽曲担当続投、英紙でも報道 テレグラフ電子版

「障害のある同級生を虐待し、性的な行為を強要した日本の作曲家は、開会式に関与し続けている」という見出しで報じた。

 

 

 

 

7年前の話を思い出した人も多いだろう。

 

 

 

 

コロナがキッカケで付いたケチは、選手や競技にもネガティブな視線を投げかけさせている。

 

 

伝統と膿みは紙一重のようだ。

 

 

 

世界から見たら日本はやっぱりCool Japanだと印象付けた東京オリンピックなのかもしれない。

 

 

梅雨明けした日本だが、オリンピック関係者は冷や汗も凍る思いだろう。