違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

アメリカvs IOC

2020東京オリンピックではさまざまな見苦しい不祥事が続出してるが、それらは日本国内の自浄能力では解決できずNBCの鶴の一声の結果、見苦しさの張本人が排除されてきた。

 

 

 

 

そこだけ見ると、NBCは正しいことをやってるように見えるが果たしてそう単純な話なのだろうかという話をしてみたい。

 

 

Wikipediaによると、オリンピックが商業主義的になったのは1984年のロサンゼルス大会からで、儲かりまくったロサンゼルスを見てオリンピックに立候補する都市が増え始めたらしい。

 

リアルタイムで知ってたはずだが、そのような認識は持っていなかったのは、わたしがボケーっと生きてたからだろう。

 

今ではその影響力が強大になったNBCがオリンピックの放映権を最初に獲得したのが1964年の東京大会。

 

露骨にオリンピックの運営にまで介入し始めたのが2008年の北京大会から。

 

北京大会ではアメリカのゴールデンタイムで放送できるように、主要な競技は北京時間の午前中に開催された。

 

さらに2020東京大会が猛暑の梅雨明け直後のタイミングに開催されることもNBCがアメリカ国内でのNBAやNFLの開催のタイミングと重ならない時期を求めたためだ。

 

 

一般にオリンピックと呼ばれるものは近代オリンピックと定義され、始まりは1894年でヨーロッパを中心に生まれたもので、思っているよりも遥かに歴史が浅いのだ。

 

 

そんなオリンピックは、商業的な転換を迎えた1984年のロサンゼルス大会以前は地味なスポーツ大会であり、アスリート中心のようで政治やイデオロギーに振り回されがちだったが、そこまではヨーロッパを中心に回っていたのだ。

 

 

ロサンゼルス大会以降、オリンピックには明らかに華やかさが加わり、ファッショナブルにすらなった。

 

1984年を境目に、オリンピックはヨーロッパ的なものからアメリカ的なものに変化していたのだ。

 

アメリカ的な変化を下支えしたのがNBCで、実質的にはIOCの上位に位置するようになっているのだ。

 

今のオリンピックは実質的にはアメリカ中心なのだが、それでも由来的にはヨーロッパ発祥となっている、このことがアメリカには不満なのかもしれない。

 

 

度重なる東京オリンピックに関連して噴出する不祥事に対してこんな論調の記事がアメリカで出てきた。

 

 

 

 

訳してくれた方がいた。

 

 

 

 

 

長文なので引用しませんので是非ご一読を。

 

 

実質的にはアメリカのものになっているオリンピックだが、歴史的にはヨーロッパのもので、そのヨーロッパ的な存在の象徴がIOC。

 

おそらくIOCにとってNBCの存在は打ち出の小槌的だが、いつ寝首を掻かれるか分からない恐怖の対象でもあるはず。

 

NYタイムズの記事を読むと全米あげてIOCに代わるものを狙いに行ってるように感じられた。

 

 

だとすれば、NBCを頼りながらもジレンマを感じてるバッハ会長のあの発言がいかに意味深か想像できる。

 

 

 

 

日本では、日本をバカにしやがってと解釈されてるこの発言だが、真意はアメリカやNBCの思い通りにはさせないぞという気持ちと、中国にもっと頑張ってほしいというメッセージを込めたような気がしてならない。

 

 

2020東京オリンピックは、あらゆる意味において転換点を象徴するものになりそうな気がする。

 

 

来年には北京で冬季オリンピックが開催される。

 

 

アメリカvs IOCの構図に中国がどう絡んでくるのか、今から楽しみだ。