未来を意識する時に、過去を参考にしたり振り返ることは誰しもが当たり前のようにやってしまうだろう。
過去と未来は、現在を挟んで連続してるのだから、未来を知りたければ過去を知ることが大事だと思うのは自然なことだと思っていた。
しかし、ある成功してFIRE生活を達成してる不動産投資家が、自身が抱える不安を綴った文章におもしろい話が書いてあった。
投資家として過去のデータなどを参考にして未来を見ているが、それってバックミラーを見ながら車を前進させてるようなもので、進むだけ進んだ先が行き止まりで切り返しもできない道だったらどうするのだろうと考えるととても不安になると書いていた。
この話が,私の脳内である話と結びついて離れなくなった。
人を理系と文系に分類するのはどうやら日本人だけらしい,という話だ。
日本人同士だと,自然と違和感なく成立する分類だが,日本人に特有のことらしい,いわゆるガラパゴスだ。
Wikipediaでも『文系と理系』と出ているくらいで,由来を遡ると1800年台の半ば頃で,予算のかかる理系の教育への門戸を制限するためだったのではないかと載っている。
このようなことを考えていたら小学生の頃父と母の会話を思い出した。
父は銀行員でこんなことを言っていた。
『今度の新入行員からは東大とか国立大の理学部とか工学部の学生などこれまで銀行に来るとは思われてなかった人が入ってくるようになった』と。
その当時の銀行に何が起きていたかというと,窓口業務のオンライン化で少しずつATMが導入され始めていたのだ。
難しいことや新しいことが十把一絡げにコンピューター化と呼ばれていたことを思い出す。
受験生だったら,理系か文系かは強く意識するが,多くの場合はどっちが将来潰しが効くかであったり,どちらが合格しやすいかという理由で意識していたように記憶している。
こういうことって,前(未来)を見ながら運転してるつもりだが,実はバックミラー(過去)ばかり見てることと同じだったのだと今更気付く。
現代は煽り運転のように後ろ(過去に原因がある)にも目配りしなければいけないことが増えている。
過去の過ちや失敗の突然の発覚や暴露でいきなり未来が閉ざされるケースも珍しくなくなっている。
未来を見ることがどんどん難しくなってるような気がする。
難しいというよりも,シンプルではなくなっていると言った方が当たっているかもしれない。
純粋に未来に目を向けられてる人はどのくらいいるのだろうか?