オリンピックが終了し、大勢訪れていた海外選手は日本見物するわけでもなく帰国したらしい、コロナ禍だからしょうがないとは言え、IOCのバッハ会長は銀座見物で話題になっていたのに。
コロナさえなければ、大勢の海外からの観光客で日本は盛り上がっていたいたはずなのだ。
海外からの観光客をインバウンドと呼び始め、政策のポイントになり始めたのが2002年頃で、観光庁ができたのが2008年。
日本は観光立国の国を目指すようになっていたのだ。
観光に付き物の、移動手段や食事や宿泊滞在やお土産や記念に関係する分野は投資の対象であり大勢の人が参入していた。
そんな観光分野がコロナのせいで大ダメージを受けているが、今日はそこがテーマではない。
日本が観光立国を目指していたと再認識したことで改めて思った話。
日本はガラパゴスだとよく言われる。
頑張ってるけどその頑張りがピント外れに思える時には、ガラパゴスということばはしっくりとくる。
こういう時は、先入観で持ってるイメージと実際の現実が乖離していたりする。
世の中はグローバル化している、そう言われるよりもずいぶん前から日本は貿易立国で、国内に留まっていてはジリ貧になるというイメージがあった。
おそらく同じ思いを持ってるであろう韓国では優秀な若者は海外に進学先を求めることが日本よりも多く、そうじゃなくても英語を身につけることにも熱心だ。
韓国人は、本能的に国内のドメスティック市場だけでは成り立たないという感覚を持つらしいと以前聞いたことがある。
それに比べると日本では機会は少なくないはずなのに、海外に出て行かないし、英語も身につかない、海外に行くとすれば殆どが遊びやレジャーとしてだ。
もちろん日本だけを見れば少しは変化してるかもしれないが…。
このような現実は、日本人は本能的に海外や英語を意識しなくても何も困らないと感じ取ってるという事実を反映してるのかもしれない。
つまり、日本はグローバル化や貿易で成り立ってるというイメージは現実を反映してるものではないのかもしれないのだ。
「日本は本当に「貿易立国」なのか」
— 小川製作所 (@OgawaSeisakusho) 2021年8月2日
日本は工業の盛んな「貿易立国」というイメージがありますが、統計データで確認すると先進国ではむしろ輸出依存度がアメリカについて2番目に低い「内需型経済」と言えそうです。
為替、物価水準と輸出入についてまとめてみました。https://t.co/TmW9lxaSAH
ツイート主はこれ以外にもさまざまな分析をしているが、総じて日本は内向きなドメスティックな生き方でもなんら困らないのではないかという結論に至るようで、この展開にわたしも気持ちがスッキリするのだ。
海外との貿易に意味がないということではないし、エネルギーなど分野によってはその依存度は極端に高いが。
貿易立国という呼び方がしっくりきてた頃でさえ、日本人は内向きだったが、観光立国志向になると内向きはさらに加速してたかもしれない。
貿易立国とはモノを中心にして展開するのに対し、観光立国は人を中心に展開するもの。
今さらながら、コロナさえなければ観光立国は日本人のメンタリティには合っていたような気がする。
日本が観光立国したくても、それを選ぶのは海外の方なので、日本は待つしかできない。
内向きでガラパゴスがよく似合う日本人には、どういう展開が似合うのだろうか?