違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『赤信号みんなで渡れば怖くない』の正体!

『赤信号みんなで渡れば怖くない』を広めたのはビートたけしさんだが、それが最初だったとするならば生まれたのは昭和55年(1980年)になる。

 

他人を犠牲にしてでも自分だけは助かりたいと考え行動するのが人間の本能だとすると不思議な価値観だが、その時代をリアルタイムで生きていた人にはかなりの共感を集めたような気がする。

 

都市への一極集中はリスクだと言われるようになって久しく、日本の場合東京(首都圏)が該当するが海外の事情はどうなっているのだろうか?

 

Wikipediaでは一極集中の都市のことをプライメイトシティと呼んでいる。

 

Wikipedia 世界のプライメイトシティ

 

 

アメリカや中国には、日本の東京(首都圏)に当たるような一極集中の都市はないとされてるようだ。

 

 

この都市への一極集中が、『赤信号みんなで渡れば怖くない』と似てるような気がする。

 

日本での東京や首都圏への一極集中は経済的ビジネス的なことが最大の理由だろうが、山地が多い日本では数少ない広大な平野であることも理由の一つではと、最近の水害を見てると感じる。

 

いつかは起きる、いつ起きてもおかしくないと言われてる関東大震災も、いつ起きるかわからない以上、実質的には赤信号みんなで渡れば怖くない、の対象となるのかもしれない。

 

 

個性を重視などと言いながらも、他人と違うことよりも他人と同じことをしたがるのが日本人だ。

 

正確には、同じようなことをしながら、ちょっとだけ優れてることを追い求めるのだがそれは、他人と違うことを出る杭と表現するお国柄が日本だからだ。

 

出る杭にならないように振舞い行動することは、心のどこかで赤信号だと感じているからこそ、共感を集めるのが『赤信号みんなで渡れば怖くない』の正体だと思うとしっくりくる。

 

 

東京オリンピックやパラリンピックが開催に至ったのもきっと『赤信号みんなで渡れば怖くない』精神があればこそだったのかもしれない。

 

政治家が政治の世界の出る杭にはなりたくないからまかり通ったと思うと納得できる。

 

 

長いものに巻かれる生き方は、みんなで赤信号を渡る生き方なのだ、日本では。

 

 

PS.

 

昨日の横浜市長選を受けてTwitterを検索するとおもしろいツイートがあった。