テレビで入院搬送を拒否された55歳のコロナ感染者の様子を追いかけてるのを見て思ったこと。
#モーニングショー と #報ステ で放送された「在宅療養の犠牲になった55歳のコロナ患者」
— 盛田隆二🫖Morita Ryuji (@product1954) 2021年8月24日
田代医師「このままだと死ぬかもしれない。でも病院が見つからない。病院に入るだけでも入りたいというなら、延命治療できない病院が空くかもしれない」
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この放送はわたしも見ていたが、いくつか思うことがあった。
それは何を怖がるのかだ。
放送が伝えていたことは、直接的にはコロナは怖いぞ侮るなということだが、それ以外にも見ている人の価値観や属性や人生経験で様々な種類の怖いがあるように感じられた。
例えば、
- 基礎疾患があることの怖さ
- 救急車は来てくれても受け入れる病院がないことの怖さ
ただ横になって寝ているだけなのに、酸素を体に取り込めなくなると、心臓は酸素を送ろうと必死で拍動を続けるので、心拍数が寝てるだけの55歳なのに常時150を示していた。
これは自分の意思とは関係ない反応なのだ、自律神経の反応だから。
この心拍数は、健康な人が好きでスポーツをしていてもキツさを感じるレベルで長時間は続かない。
食欲はないがしきりに喉の渇きを訴えていて、必要な水分は点滴で補給しているのに『水が飲みたい』と訴える姿を見て、火傷を負った原爆の被災者が川に殺到して溺れながら死んでいったという話を思い出していた。
しかし、いまだにコロナはただの風邪というのが世間の反応だ。
水害の被災者も同様だ。
突然の理不尽は誰の身に起きても不思議はないが、まさか自分には起きないだろうと心の中では思っている。
どこかで思ってるはずだ、人生なんて赤信号を渡ってるようなもので、赤信号を渡っているのは自分だけではないのだからと。
危機管理の世界では、肝心な時に政治やお上が機能しない、機能しても無力ということは往々にしてある。
そうなると、個人レベルで何もない平時の過ごし方が重要になる。
起きたら怖いことには準備が必要なのだ。
佐々淳行さんが名言を残している。
危機管理の基本は、悲観的に準備し、楽観的に対処すること