菅総理の突然の不出馬表明は『気力を失った』と伝えられた。
【「気力を失った」#菅総理 不出馬の裏側】
— 報道ステーション+土日ステ (@hst_tvasahi) 2021年9月3日
後藤謙次氏
「(菅・二階会談で) 同席者が“なぜ突然不出馬に?”と。菅総理は #気力を失った と答えた。“裏で揺さぶっている人が?”には沈黙」
「解散を当面やらない。人事でも反対。総裁選も勝てる見込みなし。混乱を収めるため身を引くしかない」#報ステ
気力を失うなんて凡人にとっては日常茶飯事だ。
ちょっとやる気になって始めてみても、なんか違うと感じたら、さっきまであったはずのやる気はどこかに消えてしまっている。
やる気はないけど簡単にやめるわけには行かないのが、仕事だったり、始めるに当たって見栄を張ったり、見得を切ったような場合。
自分のことを振り返っても、周りの人を見渡しても、やる気になって何かを始めたりがあれば、やる気を失って何かをやめたり、が起きることはちっとも珍しいことではない。
そんな時、当人以外の外野が気にするのはその動機としての理由だ。
当人にとってはほとんどのケースでその動機は明らかだろうが、他人には言いたくない場合も多いだろう。
動機なんていうと、推理小説で事件を解き明かす場合に犯行が起きた原因を探る場合に用いられる用語として使われることが多いが、人間のあらゆる行動の原点にはきっと動機が存在するはず。
ただ、動機と言ってもピンからキリまであり、深い意味がありじっくり時間をかけて醸成されたようなものだけでなく、ただの反射的な衝動性で生まれるものもあれば、実際には存在しない妄想から生まれるようなものまで様々ある。
煽り運転のように、たまたま出くわしただけで動機が形成されることは現代では珍しくなくなった。
たまたま道ですれ違ったから、目と目があったから、それだけで殺意が芽生えることすらある。
動機が形成されると、セットで気力が芽生えてるはず、『やってやるぞ!』と。
気力が失われるとは、その原点である動機の消失を意味するのかもしれない。
アンガーマネジメントでは、6秒我慢できれば怒りは鎮まると教えることからすると、突発的な怒りが起こす事件は動機は6秒未満で形成されてるのかもしれない。
失敗や挫折の繰り返しが気力を失わせるとはよく聞く話だが、最近では失敗や挫折とは種類が違う、同じ被害を繰り返し受けるというケースも珍しくなくなっている。
8月の豪雨災害から3週間あまり。
— たいら農園@筍&菊芋農家 (@Taira43780420) 2021年9月4日
2018年の北部九州豪雨災害から4年連続で水害に見舞われているため、5年連続を避けるため圃場を模索していたところ新たな展開がありました。
知り合いから遊休地の話を頂き、来年からここで菊芋を作る段取りをとっています。
一歩前進です。 pic.twitter.com/qagLdn5amQ
動機と気力の間には不思議な一体感がある。
最後にこんな話もあるというツイートを紹介して終わり。
「不安障害」の女性。ロマンス小説を読むと、鬱は抑えられるが、不安はさほど改善しなかったが、アガサ・クリスティーを読むと、不安を抑えられるようになったという。動機や手がかりを追うことに集中し、最後には(現実とちがい)確実な答えがあたえられるのがいいらしい。https://t.co/V92gsUwIg3
— 冨田健太郎 (@TomitaKentaro) 2021年9月4日