違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

動機と気力の不思議な一体感

菅総理の突然の不出馬表明は『気力を失った』と伝えられた。

 

 

 

気力を失うなんて凡人にとっては日常茶飯事だ。

 

ちょっとやる気になって始めてみても、なんか違うと感じたら、さっきまであったはずのやる気はどこかに消えてしまっている。

 

やる気はないけど簡単にやめるわけには行かないのが、仕事だったり、始めるに当たって見栄を張ったり、見得を切ったような場合。

 

自分のことを振り返っても、周りの人を見渡しても、やる気になって何かを始めたりがあれば、やる気を失って何かをやめたり、が起きることはちっとも珍しいことではない。

 

そんな時、当人以外の外野が気にするのはその動機としての理由だ。

 

当人にとってはほとんどのケースでその動機は明らかだろうが、他人には言いたくない場合も多いだろう。

 

動機なんていうと、推理小説で事件を解き明かす場合に犯行が起きた原因を探る場合に用いられる用語として使われることが多いが、人間のあらゆる行動の原点にはきっと動機が存在するはず。

 

ただ、動機と言ってもピンからキリまであり、深い意味がありじっくり時間をかけて醸成されたようなものだけでなく、ただの反射的な衝動性で生まれるものもあれば、実際には存在しない妄想から生まれるようなものまで様々ある。

 

煽り運転のように、たまたま出くわしただけで動機が形成されることは現代では珍しくなくなった。

 

たまたま道ですれ違ったから、目と目があったから、それだけで殺意が芽生えることすらある。

 

動機が形成されると、セットで気力が芽生えてるはず、『やってやるぞ!』と。

 

 

 

気力が失われるとは、その原点である動機の消失を意味するのかもしれない。

 

アンガーマネジメントでは、6秒我慢できれば怒りは鎮まると教えることからすると、突発的な怒りが起こす事件は動機は6秒未満で形成されてるのかもしれない。

 

 

失敗や挫折の繰り返しが気力を失わせるとはよく聞く話だが、最近では失敗や挫折とは種類が違う、同じ被害を繰り返し受けるというケースも珍しくなくなっている。

 

 

 

 

動機と気力の間には不思議な一体感がある。

 

 

最後にこんな話もあるというツイートを紹介して終わり。