違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

忘れた頃にやって来る天災のために何ができるか?

前触れ的な噂も聞かない中で首都圏で大きめの地震が発生。

 

 

 

この地図を見ればわかるように、この地震が起きた時、西日本の方はスマホやテレビを見てなければ、あるいはすでに寝てた人は地震があったことに朝まで気付かないのだ。

 

 

この地震の発生は、まるで心の隙を突いたように感じられるが、まだ安心できなさそうなのだ。

 

 

 

 

 

 

東日本大震災で初めて聞いた帰宅難民ということば。

 

10年前友人は品川区で地震に遭遇し帰宅難民となり、ウオーキング好きでもあり横浜市郊外の自宅まで30kmを歩いたらしい。

 

2011年は3月だったから、長時間歩くには良い季節だったのだ。

 

その話を学生時代のマラソン大会を懐かしむように聞いたのが7〜8年前、同じようなことはもうないと思っていただろう。

 

 

 

 

 

 

ちょっと前だったらテレワークで出社してなかった人も、非常事態宣言解除で出社して帰宅困難に巻き込まれた人もいたことだろう。

 

 

思えばこの2年、コロナウイルスもその対処をめぐるドタバタもどちらも人災と言えなくない、そのため天災を軽視しがちだったかもしれない。

 

いや、大雨による水害は相変わらずだったから、予測可能な天災は恐るべくして恐れていたはずだ。

 

 

問題は、予測不可能な天災に備えることだ。

 

 

首都圏では10年ぶりの震度5だったのだが、前回の地震ではあまり話題にならなかったような気がすることに水道管の破裂がある。

 

 

 

 

東京都の水道局には『あっぱれ』を贈りたい。

 

 

現代は、リターンを得ることだけが目的の投資に法人も個人も夢中だが、そのことがリターンを目的としない投資を蔑ろにさせてるとすれば、確実にしっぺ返しは倍返しになるだろう。

 

 

例の話題の広告が今朝流れていたら一体どんな反応が得られたのだろうか?

 

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歴史は繰り返すということばが脳内を虚しく駆け巡る。

 

 

<追記>

 

上記で水道管の破裂と書いたのは間違いのようなので訂正します。