違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

耐性や許容度とハラスメント

ハラスメントは、された側がそれをハラスメントだと感じたらハラスメントとして成立するというのが現代の常識。

 

10年くらい前には満員電車に乗る意識高い男性は両手で吊り革を持つようになっていた。

 

ビジネスリュックが浸透した一つの理由でもある。

 

『わたしは両手を上に上げてホールドアップの状態なので痴漢なんてしたくてもできません』という意思表示であり、冤罪からの自己防衛のために。

 

 

今日たまたま、ハラスメントなんてする側もされる側も気分次第で基準が変動するものだと感じさせる話に複数接した。

 

 

 

 

耐性というのがキーワードだと感じた。

 

 

日常生活では暑さ寒さに対する反応をイメージするとわかりやすい。

 

 

冷房や暖房の設定温度を巡ってや、最近だと窓を開ける閉めるの基準を巡っても耐性がキーワードになってるような気がする。

 

つまり個人差が大きいのだ。

 

快適や不快を巡っての許容範囲は、人それぞれであるとともに、気分や体調次第でもあるのだ。

 

 

セクハラに対して耐性があると思われがちなのが風俗嬢だろう、しかし。

 

 

 

このツイートのようなケースは容易に想像できるし、社会に少なくないように感じられるが、男と女の立場が入れ替わるとピンと来にくくなるが実は多いのだ。

 

 

 

 

添付されてるリンク先は英文で長文。(全文ダウンロード可)

 

その冒頭をGoogle翻訳したものが下記。

 

 

本研究では、オンラインのスピードデートパラダイムを使用して、セクハラに対する耐性を研究するための実験室の類似物を開発しようとしました。その文脈において、参加者のセクハラ態度、加害者の魅力、加害者の地位、および加害者の知覚された交際の可能性の間の関係が、参加者のセクハラ行動に対する耐性に影響を与える要因として調べられた。参加者は、北東部の小さな公立大学の128人の女子大学生でした。

 

 

 

自己啓発の分野では、ロジカルに考え、ロジカルに行動することは、もはやできて当たり前のこととされてるが、実際の世の中はかなり気分次第で動いているのだ。