ハラスメントは、された側がそれをハラスメントだと感じたらハラスメントとして成立するというのが現代の常識。
10年くらい前には満員電車に乗る意識高い男性は両手で吊り革を持つようになっていた。
ビジネスリュックが浸透した一つの理由でもある。
『わたしは両手を上に上げてホールドアップの状態なので痴漢なんてしたくてもできません』という意思表示であり、冤罪からの自己防衛のために。
今日たまたま、ハラスメントなんてする側もされる側も気分次第で基準が変動するものだと感じさせる話に複数接した。
先々週の「ルパン三世」を視聴。おお、子ども向けアニメなのにこんなに際どい描写があったのかと驚く。私たちの世代は無菌ではなく、所々に毒が盛り込まれ、知らぬ間に毒への耐性ができていたんだと思う。毒が悪く作用した人はセクハラ、パワハラに向かい、よく作用した人は人間を深く知った気がする。
— 宇野弘恵 (@hihiroro1717) 2021年10月25日
耐性というのがキーワードだと感じた。
日常生活では暑さ寒さに対する反応をイメージするとわかりやすい。
冷房や暖房の設定温度を巡ってや、最近だと窓を開ける閉めるの基準を巡っても耐性がキーワードになってるような気がする。
つまり個人差が大きいのだ。
快適や不快を巡っての許容範囲は、人それぞれであるとともに、気分や体調次第でもあるのだ。
セクハラに対して耐性があると思われがちなのが風俗嬢だろう、しかし。
私は高校の途中で摂食障害になって大学進学ならず、身体売ってどうにか生きてきたんだけど、途中で何度も大学に憧れて、親に仕送りしながらお金貯めて予備校に行ったこともあったんですが、そこでも悲惨なセクハラに遭ってほとんど通えなかった。風俗嬢って判ると遠慮なく性的な目で見てくるの、何?
— 葛根湯 (@peach_fat_free) 2021年9月20日
このツイートのようなケースは容易に想像できるし、社会に少なくないように感じられるが、男と女の立場が入れ替わるとピンと来にくくなるが実は多いのだ。
【論文】男性の地位や容姿が、女性のセクハラ許容度に影響を与えることが確認されるhttps://t.co/8WH2nbSGOp https://t.co/p0Uv4VBF5K pic.twitter.com/MuMA1bu31X
— 白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー)☀ (@terrakei07) 2021年10月29日
添付されてるリンク先は英文で長文。(全文ダウンロード可)
その冒頭をGoogle翻訳したものが下記。
本研究では、オンラインのスピードデートパラダイムを使用して、セクハラに対する耐性を研究するための実験室の類似物を開発しようとしました。その文脈において、参加者のセクハラ態度、加害者の魅力、加害者の地位、および加害者の知覚された交際の可能性の間の関係が、参加者のセクハラ行動に対する耐性に影響を与える要因として調べられた。参加者は、北東部の小さな公立大学の128人の女子大学生でした。
自己啓発の分野では、ロジカルに考え、ロジカルに行動することは、もはやできて当たり前のこととされてるが、実際の世の中はかなり気分次第で動いているのだ。