違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

マスクの着用を巡って法律も空気を読み始めてる!

この1年ですっかり生活に浸透したのがマスク。

 

してない人がごく少数派で、TPOによってはしてないことは反社会性を意味するようになった。

 

 

 

 

 

 

マスクの着用を巡っての主義主張は正論の応酬というポジショントークになりがちなので、そこはさて置き、マスクがいかに短期間に生活に入り込んできたのかを探ってみた。

 

 

コロナが流行る前から一部ではマスク着用は日常生活に浸透し始めていた。

 

GoogleTrendsで期間を検索可能な2004年1月1日から2019年12月31日にしてマスクの検索の推移を見ると、

 

 

GoogleTrends『マスク』 コロナ前

 

 

大きな山を示しているのは2009年の5月で、調べてみると新型インフルエンザが日本に上陸し、大阪や兵庫でちょっとした騒ぎになっていたらしいことが分かったが、わたしには全く記憶がなかった。

 

それ以降の小さな山は冬に発生していて、マスクが季節商品として浸透し、一部でファッションとしても機能するようになっていたのがコロナ前の日本だった。

 

この頃は、風邪をひいたりして本当はマスクをした方が良い人でもマスクをしない人は珍しくなく、またちょっとしたことでマスクを着用する人も珍しくなかった。

 

わたしの日常生活の身近にはマスクはなかったので、マスクをしてる人を見ると、そんなに酷いなら外出しなければいいのにと感じたり、顔を隠して悪いことでも企んでいるのかなと感じたり、顔を隠すのは自分に自信がないからかなと感じたり、良い印象はなかった。

 

しかし、コロナがそんな空気を一変させた。

 

GoogleTrendsで期間を今日(2021年1月20日)までにしてマスクを見ると、

 

 

GoogleTrends『マスク』 2004年以降

 

 

1年前の今頃は当然の如くまだマスクは特別なものだったことが分かるが、その後の推移を見るとピークに比べたら沈静化したとはいえ、コロナ前のピークを常時超える反応が日常になっていることがわかる。

 

 

おそらく、わたしもそうなのだが、本当はマスクの着用が不快な人は、マスクの着用に関しては空気を読んで振る舞い方を変える人が多いだろう。

 

わたしは自転車に乗るときや人と接点を持たずに動くような場合はマスクは付けないが、今年の年明け近所の小さな神社に初詣の人がパラパラ見受けられる中でマスクを付けずにウオーキングしてた時に、自分が異質な存在になってることが感じられた。

 

誰かに何かを言われたわけでもないし、ジロジロ見られたわけでもないのだが、密でもないオープンエアーの場でも、今やマスクは社交辞令として必要になってしまったのだなと感じられた。

 

 

こうなってくると、社会のルールも変わらざるを得なくなるのだろう。

 

文言で規定された法律ですら空気で解釈は変わらざるを得なくなるのだろうなと思っていたら、こんなニュースが出ていた。

 

最初は同じ人がまたトラブルを起こしたのかと思ったのだが、

 

 

 

どうやら、マスクの着用を巡っては法解釈も空気を読み始めたような気がする。

 

迷った時には空気を読んで意地を張らないように!