違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

絵画と写真

絵を描く人は、特に風景の場合、写真はシャッター押すだけで本物の映像が撮れるので楽で良いねと思うらしい。

 

一方、写真だけでなく映画を撮るような人は、絵は現実にはあり得ない映像を自由に思った通りに表現可能なので良いねと思うらしい。

 

どちらもプロであればあるほど思うらしい、と聞いたことがある。

 

 

風景を手描きで描いた場合、『写真みたいだね』というのは最高の褒め言葉だと感じるが、撮った写真が『絵みたいだね』というのはどういう意味や価値を持つのだろうか?

 

 

 

先日(10月31日)RAW撮影がおもしろいと書いた。

 

おもしろいのはRAW撮影というよりもRAW現像。

 

持ってるカメラ(DJI pocket2)がRAW撮影出来ることと、使ってないけど持っていたiPadアプリのaffinity photoがRAW現像出来ることから遊んでいて、自分の中にあったのに全く気付いてなかった価値観というかフェチな趣味に気付けてしまった。

 

RAW現像で色々な設定(今のところ弄っているのは色や明るさやコントラストに関する項目だけ)を弄っていて、最初はこんなにたくさん弄れても訳が分からなくなるだけだと思っていた。

 

 

しかしある一枚の弄った写真が妙に気になった。

 

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元の写真はファイルサイズが大きいので削除したので比較できないが、元の写真ではコスモスのピンクの色はもっと鮮やかだった。

 

その点だけはちょっと不満なのだが、それ以外に関しては寝ぼけたようなボヤッとした写真だったのだが、弄るとコスモスに立体感が感じられて気持ち良いと感じたのだ。

 

そして、さらにいうと、写真というよりも絵のようだなと感じたのだ。

 

その時にはまだ気付いてなかったが、それ以来毎日何かしらを撮影してはRAW現像していて自分のツボに初めて気付いた。

 

絵のように見える写真がツボのようなのだ、邪道と言われようがそうだからしょうがない。

 

 

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次の写真はビルの窓越しに撮った風景。

 

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どの写真も元の写真には全く魅力を感じなかったのに、これらの写真は見飽きないのだ。

 

もっというと、多分何を撮っても好みにRAW現像すると見飽きなくなれるような気がする。

 

これで当分の間は高級カメラに対する物欲煩悩が抑えられそうだ。

 

写真に興味がある方でRAW撮影出来るカメラを持ってる方には是非ススメたい。

 

教科書的なお手本を参考にするのではなく、自己満足を追求してください。