違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

営業マン不要について考えてみた

昭和だったら仕事のスタートは営業マンだったという人は多い。

 

昔の営業とは、お客が知らないことを最初に伝え教えることで、その役目を果たすのが営業マン(パーソン)。

 

※以下営業マンで統一

 

 

令和になった現在、営業マンという存在を『モノを右から左に移すだけで利益を得る人』と呼び、だからAIに取って代わられると言ってる人は少なくない。

 

この傾向はコロナ前からだったので、コロナのせいでさらに加速したかもしれない。

 

営業のことを外回りとも呼ぶが、外を回るから時間とコストが掛かる。

 

この時間とコストと、外を回ることで得られる儲けや情報が、天秤に掛けられるのが現代だ。

 

さらに、自爆営業など外回りの営業マンだけでなく、社員からも儲けようとする会社も少なくないのだ。

 

 

 

もちろん、提案される商品やサービスもピンキリならば、伝える営業マンの質もピンキリなのは言うまでもない。

 

しかし、新しい何かを知り、採用するために比較検討するためにも、営業マンの存在は必須だった。

 

 

つまり、昔は確実に重要だったのは、どこから買うかであり、誰から買うかだったのだ。

 

昭和〜平成〜令和と時が流れる中で営業マンの存在意義は変質して行った。

 

変化したのは営業マンだけではなくお客の側もだ。

 

どちらも変化変質し、その上どちらもピンキリで分布するようになると、ざっくりと営業マンとはなどと語れなくなる。

 

欲しいのは必要な商品やサービスであり、必要性が担保されるならどれでも構わないという時代になっている。

 

結果、どこから買うか、誰から買うかのハードルは、昔とは違う種類に変わっている。

 

共通する要素は、価格や納期や安心感ではあるが、それは商品やサービスが備えていれば良い。

 

だから、重要なことは誰が作った商品やサービスなのかで、誰が売ってるかは新品に関しては関係ないのだ。

 

 

営業には大きく二種類ある。

 

売ったら終わりという営業と、売ることが始まりと思えるものの二種類。

 

 

 

接客意識が高い現場では、金銭的報酬とは別のモチベーションが起動する。

 

 

 

 

これらのように、営業マンが継続的に日常的に接客パフォーマンスを求められ発揮できる機会が多い現場ばかりではない。

 

売り買いする時だけは関係性が発生するが、その後は何もない、してもされても迷惑という商品やサービスの方が多いくらいなので、そういう分野では金銭的な報いが無いとやりがいが感じられないという声は多いはずだ。

 

 

『営業マン』と検索すると、業種として出てくるのは、不動産、自動車、保険・金融が代表的な業種として出てくる。

 

確かにこれらは売るときだけ熱心だし、売った後に熱心にされても迷惑かもしれない。

 

 

インターネットの登場で、接客や購買スタイルが大きく変化した業界では、営業マン不要も進んでいる。

 

ビジネスを戦争に例える理論は多いが、そのような理論における営業マンの存在意義は接近戦やゲリラ戦で直接格闘したり銃を用いる戦いだが、戦いの質が変わると、遠隔地からのミサイル攻撃や接近戦にはドローンを使うというのが現代だとすると、自ずと兵士の質や数も変わってくる、この理屈が営業マンにも当てはまるのだ。

 

営業マンの存在意義は、営業マンを必要としないシステムや仕組みと、トレードオフの関係だということはちょっと考えれば誰でもわかる。

 

 

いつの頃からか、求める人材に対してコミュニケーション能力の高さを求めるようになっている。

 

一見、綺麗なこのコミュニケーション能力という表現は曲者かもしれない。

 

受け取り方によっては忖度や自己犠牲の強要にも感じる。

 

営業マン不要が確実に浸透する中で、コミュニケーション能力を要求する業界にはブラックな時代遅れの臭いがする。

 

 

営業という職種はどこに向かっているのだろうか?