先日少し話題になっていた話。
大手地図会社「ゼンリン」がおととい、北海道函館市の五稜郭公園が色鮮やかに紅葉していたとする写真をSNSに投稿したところ「色を加工しすぎだ」などと指摘を受けました。
— NHKニュース (@nhk_news) 2021年11月12日
ゼンリンは加工したことを認めたうえで「誤解を招く投稿だった」と陳謝しました。https://t.co/4CldLABnp2#nhk_video pic.twitter.com/xXOIog9lZl
確かにこの写真を見て五稜郭に出かけてガッカリしたということはあり得るかもしれない。
まあ五稜郭さんサイドからすると、知らん間に有名会社が画像加工して、それ見てから来た観光客が画像とのギャップで勝手にガッカリされても「(´・ω・`)わしゃ知らんがな」って話ではあるよなあ。
— 六甲ケーブル下(使わないけど最寄り駅) (@koberokkojp) 2021年11月13日
この件は写真編集や画像加工のやり過ぎの是非論へと発展していたのだが、大抵の場合加工された写真に最初にクレームを付けるのは写真趣味歴が長い人だったりする。
昔はしたくてもできなかったことが今ではPCやスマホで簡単にできるのだから。
カメラや写真の歴が長い人ほど昨今の映えブームを苦々しく感じているようであることと、本当は自分もやりたいけど今更プライドが許さないという僻みに似た感情がクレームを付けさせるのかもしれない。
わたしは、紅葉なんてどこで撮っても色鮮やかにできるんだと、良いこと教えてくれてありがとうと思ったくらいだ。
似たようなことはいくらでもあるだろう。
電動アシスト自転車が最初に世に出た頃は、それはお年寄りや小さい子供を持ったママのためのものだった。
だから、その存在意義に疑問を感じることはなかったが、自転車に乗ることをスポーツと捉える人々からはママチャリとはいえ電動アシスト自転車は自転車ではないと言われていた。
そして最近はスポーツタイプと銘打った電動アシスト自転車が出現し、おまけにバッテリーのデザインを外見から分かりづらくすることで、知らない人が見たら電動アシストには見えないタイプとして出てきた。
スポーツタイプの自転車で自分を鍛えてきた人には、全然鍛えてない人が乗る電動アシストにあっさりと追い越されるという屈辱が現実になり始めたのだ。
しかも、一目で電動アシストだと分かりにくいデザインなので、傍目には体力の劣った人が体力の優れた人に抜かれているとしか見えないのだ。
だから、『電動アシストなんて邪道だ』と言うようになる。
私もこのタイプだ。
自転車を含めてスポーツの世界には、きつい苦しいハーハーゼーゼーを美徳と考えるMっ気が日本では未だに根強いことも関係してるだろう。
しかし、こういう考え方はおそらく駆逐される側の考え方だろうとも感じてる。
いなくなることはないが、勢力としてはマイナーな側に追いやられるのはほぼ明らか。
そう言えばと思い出すのが自動車の変速システムだ。
80年代の半ばまでは確実にMT(手動変速)の方が主流でAT(自動変速)は邪道だと言われていた。
ATは馬力の伝達効率も悪かったので、どんくさい車としても映っていた。
しかし、その後急速に地位が逆転したのは皆の知る通りだ。
現在はATの方が性能も高く、MTは趣味として細々と残ってるだけだ。
ただ一つ思うのは、昨今増えてるアクセルとブレーキの踏み間違い事故や事件は、MTだったらほとんど起きることはないだろうなということ。
そして、MTしか存在してなければ高齢になった場合の免許返納のハードルはすごく低いものになっただろうなと思う。
つまり、便利で楽で気持ち良い、この3つが揃うともう流れを止めることはできないのだ。
探せばもっとたくさんあるだろう、昭和だったら当たり前の価値観が急速に追いやられてしまうという現象が。
日本がガラパゴス化する理由の多くは、高齢化と長寿化で古い価値観が生きながらえていることにあるのかもしれない。
『それは邪道だ』と、ついつい無意識に思う時には、自分は駆逐される側の人間だと気付いた方が良いかもしれない。
そんな気持ちを表すかのようなツイートが流れていた。
感銘を受けました#お寺の掲示板#ありがたいお言葉 pic.twitter.com/ELtpQjl82F
— まろ(女) (@like_add0815) 2021年11月18日