スティーブ・ジョブズが言った『点と点は後からつながる』を思いながらうつらうつらと睡魔に身を委ねている時に思ったこと。
それは進化や進歩のイメージだった。
何事も効率で判断し処理する現代では、進化や進歩を明確な目標やコンセプトの上に成り立つものと位置付けるだろうが、実際には訳も分からずにやってる方向に進んでいるだけなのかもと閃いた。
訳も分からずということはないとしても、最短距離を一直線にと思っているのに、実際には螺旋階段を進むように、それも円弧が大きく歪な形をし、おまけに段差も不規則な螺旋階段だ。
そんな螺旋階段だと、中心軸が見えなくなることすら珍しくないだろう。
だから、躓いたり転ぶのは当たり前で、その瞬間瞬間ではどこに向かっているのか、果たして意味があるのかと自問自答を繰り返しながら進み続けることになる。
そんな理屈は知ってるよ、それってヘーゲルの「事物の螺旋的発展の法則」のパクりだろうと思う人も多いかもしれないと、検索して知った。
※ヘーゲル(1770〜1831 ドイツの哲学者)
しかし、感じ方や表現の仕方に違いはあっても、似たようなことを思う人は少なくないはず。
螺旋階段の一段一段がどこに向かうかしか見えないと、あるはずの中心軸を意識できない。
経済や企業の盛衰は30年周期説で説明されることが多い。
30年経つと螺旋の向きや段が変わってしまうと理解するとしっくりするし、温故知新の捉え方にもコツがあると理解できる。
イノベーションの模索が停滞期に入ってるように感じることが多いのも螺旋階段を意識すると、今は修正期なのだろうとも感じる。
進化や進歩を螺旋階段という視点で見ると、少しはモヤモヤとした霧が晴れるかもしれない。
これって進化や進歩だけでなく平凡に見える人生にも当てはまることかもしれない。