日本で生まれ育った子供はごく自然に日本語を身につける、親や本人の国籍など関係なく。
こういう場合は日本語ネイティブと言われ、アメリカで生まれ育った場合は英語ネイティブと言われる。
言語の場合、ネイティブの壁は10歳と言われ、10歳以降に猛勉強して外国語がペラペラなったとしてもネイティブとは違いがあると言われる。
この違いは実際の生活を通じての実感とも一致するという人が多いはず。
では、これがデジタルネイティブと表現されるとどのような違いがあるかというのが今日のテーマ。
デジタルネイティブというワードは21世紀に入って登場し、スマホの普及で定着したもので、元々の意味合いは先端技術に学生時代から触れてると技術への慣れや適応が速いというものだったが、さらに加速し赤ちゃんの頃からそのテクノロジーに触れてると、言語の習得のように理屈では説明しづらい適応力を発揮するという意味になっていった。
デジタルが好きな人ならば、年齢に関係なくテクノロジーに適応し使いこなすことは難しいことではない。
各種のSNSは確かに最初は若者や新しい物好きの人々から始まるが、すぐに年齢など関係なくなる。
それらを見てると人間には感情があるし、発言には感情や意図が必ず込められるという共通点が感じられる。
今となってはSNSはデジタルネイティブの方がマイナーな存在のはず。
デジタルネイティブとそうでない者を決定的に分けるのは、アナログという比較対象を持ってるかどうかだ。
デジタルネイティブの中には、おそらくアナログという存在がピンと来ない人もいるだろう。
アナログを知る者にとっては、ネットの世界と現実の世界は違うと区別するが、デジタルネイティブにとってはどうなのだろうか?
昨年後半から話題になり始めたメタバース。
一応理解したいと思い、いろいろと調べてみた結果、わたしにはどうしても克服できないハードルがアバターによるコミュニケーションだという点だった。
アバターを使うからこそ、年齢や性別や実社会の属性などというしがらみから解放されてのコミュニケーションができるのは魅力だと感じるが、自分自身をアバターで表現するというのがどうにもハードルに感じるので、そこから先に感情移入できないのだ。
アバターによるコミュニケーションを許容できるかどうかは、デジタルネイティブやデジタルネイティブ的なセンスを持ってるかで決まるのかもしれない。
デジタルが進化すればするほどアナログの特徴は身体性や物理的な存在感になって行くはず。
アバターに苦手意識がある人は、どんなにデジタルデバイスを使いこなしていてもアナログ派と言える気がする。