薄利多売の反対は厚利少売。
しかし、『こうり』で変換しても厚利なんて出てこないし、『しょうばい』で変換をかけても少売も出てこない。
つまり、日常で使われないから辞書的な検索に反応しないのだ。
さすがにGoogleで『こうりしょうばい』と検索すると厚利少売と出るが、ヒットするサイトはどれもビジネス論として薄利多売の対の概念としてセットで表記してるからで、あくまでも薄利多売に引っ張られて出てきてるだけで、厚利や少売の認知はとても少ない。
ちなみにわたしがこの下書きをする際に厚利少売と表記するためにやってる作業は、厚い+利+少年+売と四文字とも1字ずつ入力している。
厚利少売という検索でヒットしたサイトを見ると、厚利少売を厚利商売と誤字があったりするので、厚利少売を語る人は皆こんな簡単な変換がなぜできないのかとイラついてることが感じられる。
薄利多売というビジネススタイルは、お客から見ると良いことだが、事業者から見ると苦労が多い割には報われないという意味で使われがちで、大企業にのみ許された戦い方で、中小企業だと太刀打ちできない。
だから、中小企業が大企業に勝つための戦い方としては顧客や市場を限定しての厚利少売が理想とされるが、そんな厚利少売市場が存在することを知った大企業は薄利多売でその市場を根こそぎ奪ってしまう。
つまり、よほどの例外的な市場を持たない限りビジネス界は、グローバル化との合わせ技で薄利多売で市場を奪うという展開しか描けないのだ。
もし厚利少売が成り立ってるとすれば、薄利多売に市場を奪われてないだけか、大企業が薄利多売で奪うに値しないくらい市場規模が小さいかのどちらかだ。
バブル期からバブル崩壊後のしばらくの日本では、付加価値を付ける、付加価値を上げる、ということが合言葉になっていたが、これが厚利を意味していたのだろうが、その結果余計なものがゴテゴテ付いてるばかりと揶揄されるようになった。
同じ頃、海外では余計なものは省いてシンプルな構成が主流で、この展開の違いが日本が世界に遅れを取った理由の一つだ。
最近資本主義の行き詰まりが囁かれるが、これは薄利多売の行き詰まりなのだろう。
薄利多売の反対の意味を、ビジネス界が厚利少売だと思ってる限り活路は開けなさそうな気がする。