違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

逆のことをしてしまう人々

自分のことを振り返ると、考えてもしょうがないことは考えないようにしようと努めている。

 

無用なストレスを溜め込まないようにと。

 

しかし、そのためには考えてもしょうがないという結論に達するまでは考え続ける。

 

考えてるうちは、それは悩みと同じになる。

 

例えば血圧。

 

わたしは典型的な白衣高血圧で病院で測ると尋常じゃないくらい高く出る、どうやらこれは遺伝のようで母親はわたし以上に白衣高血圧で、昨日検診に付き添ったが病院での数値が高く出るのは毎度のことだが昨日はさらにひどく、上が250を超えたということで点滴を受けるハメになった。

 

ちなみに日常の血圧は至って普通。

 

これがトラウマになり白衣高血圧はますます進む可能性が大だ。

 

 

わたし個人は、養老孟司先生の血圧なんて気にしたってしょうがないから何もしなくていいんですよという言葉には救われてるが、母には通用しないから病院での血圧測定にいつもビクビクし、そのことで血圧を余計に上昇させている。

 

 

こんな日本人は少なくないような気がする。

 

根本的に悩みや問題を解決しようとはしないで口では強がるくせに、心の中ではビクビクしている人。

 

あるいは、常に弱音を吐いてるが、だからと言って何もしない人。

 

すぐにキレる人が増えて久しく、煽り運転や衝動的な暴力が事件として増えたのは、心の底ではビクビクしてる人の何かが切れて凶暴性という窮鼠猫を噛む的な、やられる前にやっつけろ的行動なのではと感じる。

 

本当に、心の底から小さなことでくよくよすることをやめようと思っても、それはとても難しいことなのかもしれない。

 

 

おそらく、三つ子の魂百まででで、小さなこと(本人にとっては小さくないかもしれないが)でくよくよする人は悩むことが趣味なのだ。

 

長生きしてる人ほど趣味歴が長いので無意識で無自覚になる。

 

昭和平成令和と時が流れるとともに、一体病名がどれほど増えたことか。

 

わたしの知人の金持ちが自慢げにこう言ったことがある、『お前ら貧乏人は病気になっても治療にお金をかけられないから病気になることが心配だろうが、俺はいくらでもかけられる、だから俺な幸せだ』と。

 

リア充という言葉が生まれた頃から、いかに充実した生活を送っているかをアピールする人が増えたが、まあおそらく何らかの病名が適用されるだろう。

 

 

小さなことでクヨクヨしてしまう人は、本当はそんなことがしたいわけではないのにということを、してしまいがちだと思える。

 

 

 

そんな人は少なくないなと感じる今日この頃。