違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

免罪符のつもりの転ばぬ先の杖

昨日に続いて、いまさら考えても意味がなさそうなことを考えてみた。

 

キッカケは、次のツイートがタイムラインを流れて来たから。

 

 

 

 

この記事の見出しを見ながら、こういうタイトルやキャッチコピーを付けると発行部数が伸びるから付けるんだろうなと思いながら、『コロナはただの風邪』という意見が頭に浮かんできた。

 

コロナが出現する前、風邪とインフルエンザは違うという議論を聞いたことがある。

 

わたしはインフルエンザには罹ったことがあったのかもしれないが、風邪と考えて対処法はほったらかしにして勝手に治るのを待っていた。

 

そんなわたしにとっては、インフルエンザは風邪なのだ。

 

当然インフルエンザワクチンを接種するなど考えたことは一度もない。

 

インフルエンザワクチンを接種する人は、わたしの目には心配性の人に思えるが、インフルエンザワクチンを接種する人はどのくらいいるのだろうか?

 

インフルエンザワクチンにまるで興味がないわたしは、世間的にはどこに位置してるのだろうか?

 

そこでインフルエンザのワクチンは、どのくらい接種されているのかを調べてみた。

 

参考にしたいのはコロナ前の状況だが、幸いなことに推移として示されていたデータはどれもコロナ前のものばかりだった。

 

 

インフルエンザの接種数の推移

 

https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/kenkou/kansensyo-yobousessyu/kourousyou-tuuti30_d/fil/181023-2.pdf

 

 

年によって違いが大きいし、データそのもののバラツキも大きいが、コロナ前だと多くても4〜5人に1人の接種に留まってていたようだ。

 

世間の多くの方が、わたし同様にインフルエンザと風邪の違いがピンと来てなかったのだろうなと想像できる。

 

単純に数字だけを見ると、インフルエンザですらワクチン接種する人はマイナーなのだ。

 

しかし、秋から冬に向かう頃には皆がインフルエンザワクチンを接種してるかのように報じられていたように記憶している。

 

 

 

コロナワクチンに関しては各地で希望者が殺到し受付作業がパンクする中で、接種要件を満たさない自治体の長がコソコソと接種していた事例が複数発覚する様子を見ていて、流石にコロナはインフルエンザ以上に接種希望者が多そうだなと感じられていた。

 

 

 

数が多いほど上げる声が大きくて当然という考えが、実は間違っているというのが誰の目にも明らかになったのは2014年頃だとされる。

 

デジタルなデータ解析の結果、ノイジーマイノリティと称される少数の大騒ぎする人たちに世間が振り回されるという図式が見えてきたからだ。

 

ノイジーマイノリティの陰に隠れて見えにくいのが多数派のサイレントマジョリティという層なのだが、つい最近まで全く考えていなかったのが、コロナワクチンを巡って大きく二つの論点があり、それぞれにノイジーマイノリティとサイレントマジョリティが存在するということだ。

 

 

本当にコロナが怖くて、その恐怖から逃れるためにワクチンを接種したい人々と、ワクチンを接種すれば免罪符を得るようなもので自由に好き勝手に振る舞えると感じてる人々だ。

 

コロナを恐れてる人々とインフルエンザのワクチンを接種する人々は確実に重なるだろう。

 

インフルエンザのワクチンを接種しない層は本音ではコロナを恐れてない可能性が高いが、世間の空気は恐れているという人がほとんどだろう。

 

世間の空気だけを恐れてる人ほど免罪符が欲しくてしょうがないだろう。

 

 

その結果、世間ではコロナは恐れてないがワクチンを摂取して免罪符を手に入れたいというマイナーなのかメジャーなのかが不明なノイジーな層が誕生してるのだ。

 

 

冒頭で紹介した記事を見て、オリンピックのために免罪符を手に入れたいのは政治の側も同じだなと思えると、さまざまなマイナーなはずのノイジー集団が寄り集まって架空のメジャー集団が出来上がっているようにも感じられる。

 

ところで、本来の免罪符とは起きてしまったことや起こしてしまったことに対するもので宗教的なものなのだが、現代では宗教に取って代わっているのが法律や契約になったからだろうが、免罪符と転ばぬ先の杖の境界が曖昧になっている。

 

 

ワクチンは免罪符ではなく転ばぬ先の杖に過ぎない!