テレワークのメリットやデメリットとして挙げられる世間の声を拾ってみると、多様な意見があるのだが、大きくほぼ二つに集約できるように感じられた。
- 時間配分
- コミュニケーション
それぞれにメリットとデメリットというよりも、むしろトレードオフに対する好き嫌いのように感じられる。
通勤しなくなったことで疲れるだけの時間を削減できて良かったという声がある一方で、通勤がいかに運動になっていたかが分かり、意識的にあえてする運動に取り組まないと肥満や健康の問題が生じるということを実感する人が多かったりだ。
またディスプレイ越しのコミュニケーションに不満を訴える声は、年齢が高い人や肩書だけが偉い人に多く、その場合は自分の影響力や存在感を誇示できないことへの不満なのだが、そのことを部下やスタッフを十分に管理監督できないことへの不満と感じているようで、そもそも対面でのコミュニケーションが当たり前だった頃に上手なコミュニケーションを取るのが下手だった人達があげている。。
逆にディスプレイ越しのコミュニケーションに対して好意的な人は、もともと対面でも十分にコミュニケーションが取れていたようなチームやグループで、そこでは個性や能力を踏まえた上で目的や目標に対して何をするべきかの共有がなされた上での役割分担が成立してるのだ。
仮想化されたコミュニケーションも現実のコミュニケーションも大した違いはなく、ただ現実の対面ではかろうじて許容されたコミュニケーションは仮想化されると全く通用しなくなるだけなのだ。
仮想化されたコミュニケーションでは、真のコミュニケーション力が隠せないのだ。
昔の旅行には見聞や見識を広めるという大義名分がよく付けられていた。
修学旅行などは見聞や見識を広めるという大義名分が立てばこそ学校行事になったはずだ。
それが旅行と遊びを引っくるめてレジャーと呼ぶようになった頃から、その目的は気分転換やリフレッシュとなり、修学旅行ですら目的は思い出作りと言われるのが実態になっている。
コロナ禍を契機として、気分転換やリフレッシュや思い出づくりを担っていた旅行レジャー市場がダメージを受けた一方で、各々が抱えているそのニーズは意識の上ではガマンガマンだったかもしれないが、きっと別の何かにその捌け口を求めたはず。
それらは、簡単には括れなくらい多様性があるだろう。
その結果、やっぱり旅行しないとダメだなと思う人と、別に旅行じゃなくても良いね、と思う人が出ているだろう。
距離に関係なく移動を伴うものは旅行とすると、旅行は物理的な存在となる。
一方で、旅行に求めていた感情を物理的な移動を伴わない何かで代替できることを覚えた人というのは、仮想化に適応し始めているのかもしれない。
気分転換やリフレッシュや思い出づくりに、移動や物理的な刺激が必ずしも必要ではなく、気持ちや気分だけでも可能だとすると所詮脳内ゲームなのだと思えてくる。
メタバースのことを言ってるわけではない、わたしはメタバースはまだまだ役不足だと感じている。
最近の若者が車に興味を持たないのはコスト負担を嫌がることもあるだろうが、昔の若者が車に感じていた、車で感じていた爽快感や気持ち良さが別の何かで十分に代替可能だからなのだ。
やってることや趣味嗜好は違っていても、脳内では同じことが起きている、そういう時代になりつつあるような気がする。
おそらく薬物は似たような存在かもしれないが、そこは踏み込んではいけない。