興味を持って、始めたいと思った時に、まず何から始めるか?
日本で生まれ育った赤ちゃんや幼児が日本語を覚える場合、不思議なことだが意味を理解しながら日本語を習得してるとは思いにくいのだが、きちんと確実に覚えていく。
親や周りの家族とコミュニケーションを取りながら自然と覚えた日本語としての言葉に、意味があることを徐々に理解していく。
これが、いわゆるネイティブな語学習得で、理屈で言うならひたすら実践あるのみとなるだろう。
成長して後に日本語の文法に接すると、途端にそれまでわかっていたつもりの日本語がチンプンカンプンになるのは文法が実践と乖離してるからだろう。
同じタイミングで英語を勉強し始める場合、大部分の日本人には実践の場はほぼない。
そうすると取っ掛かりは文法的になる。
こうやって始めた英語の勉強を10年続けた結果、英語での実践会話ができない日本人が出来上がる。
車の運転を理解するために車の構造を理解することは必ずしも必要ない。
大多数の人にとって車とは運転の実践がほとんどになり、仕組みや構造の理解は知らない人は知らないままになりがち。
しかし、車の運転が上手になり、運転キャリアが長くなるほどトラブル等も経験する、その積み重ねが増えてくると車の構造がなんとなく理解できるようになるということは少なくない。
車の場合は、最新の電子制御が高度でオートマチックに慣れると運転キャリアが長くても構造を理解しにくくなるだろうが、昔のマニュアル変速でアナログ制御の場合は、運転手自身がシステムの一部として機能するので細かいことに気付けるようになる。
一方で、機械工学や電子工学を勉強して車の仕組みを十分以上に理解してる人が運転が上手かというとそんなことはない。
しかし、仕組みや構造をきちんと理解し、さらに運転の実践が増え、しかもそのモチベーションが高い場合は、運転能力は飛躍的に高くなる。
何が言いたいかというと、新しく何かを始めようとすると、仕組みや構造の理解と実践は無意識のうちにバランスが悪くなるのだ。
実践派の人が、仕組みや構造や文法から始めてしまうと、楽しくなくて続かないだろう。
仕組みや構造や文法派の人が、実践を繰り返しても、まとまりのつかない事の繰り返しで、向かう先が思うように描けなくて挫折しやすいだろう。
最終的にはどちらから始めても、続けた場合向かう先は大して違わないのだが、続けるためのモチベーションには大きく影響する。
もし、続けることに意味や価値を感じるならば、
自分が実践派か仕組み派かは知っておいた方が良い。