違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ついた差を気にするのはもったいない

左脳は思考を、

 

右脳は直感を、

 

司ると言われる。

 

 

人間には左脳派と右脳派がいる、これはどちらが良いとか悪いではなくタイプ。

 

無意識またはリラックスしてる際の傾向くらいのもの。

 

 

簡単なチェック方がある。

 

無意識に指を組むと

親指が上になるのは

右手?左手?

 

無意識に腕組みすると

腕が上になるのは

右腕?左腕?

 

 

わたしはどちらも左。

 

このチェックがおもしろいのは、わたしの場合右を上に組もうとすると指はできないし腕はすごい違和感だらけ。

 

このチェックでの結果は4パターンしかないのだが、その際の印象の違いは4パターンを超えてさまざまあるはず。

 

こんな簡単なチェックですら人間の多様性を表すのだ。

 

しかし、このチェックでの違いは、違うということは認識できても、わたしの場合右が上になる人の感覚を真には理解できない、そのことを痛感するのだ。

 

喜びや悲しみを共感できるようには共感できない感覚なのだ。

 

 

右脳派か左脳派かで、きっと情報の処理にも差が出るだろう。

 

テーマが同じ場合、文字を好むか写真や映像を好むかあるいは別の何かを好んだり、そしてその量にも個性レベルのタイプの違いが生じるはず。

 

文字の場合だけでも、書かれたものもあれば音声もあるし意味は同じでも表現はさまざまある。

 

接してる情報がそもそも同じではないだろうが、仮に同じだとしてもその伝わり方や受け取り方さらにその理解に違いがあるとすれば、結果的に違う情報として伝わることになる。

 

 

情報を得てる人と得てない人の間に差が生まれるのは当然だが、情報を得ていても伝わり方や受け取り方によっても差がつく、さらにそこから先の理解力にも差がつけば応用にも差がつく。

 

これに加えて運が良いとか悪いという差も生じ得る。

 

つまり、同じように生きているはずだがどんどん差がつくのだ。

 

しかし、その結果が幸せか不幸かはついた差だけでは説明不可能。

 

だからおもしろいのだ。