違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

伏線沼に逆張りで対抗

ある状況下で、次にどう行動するかを決定する際に、セオリーと呼ばれる過去のデータを参考にしたり、世間の多数派に従うことは順張りと呼ばれ、その逆は逆張りと呼ばれる。

 

合理性があまり高そうではない逆張りだが、投資家界隈では一定の支持が根強い。

 

逆張りをバカにできないということは、世の中は予測通りには行かないということでもある。

 

 

中には、それは順張りだったのか逆張りだったのか、それともどちらでもない別の種類なのかというものもある。

 

すでに削除されてるツイートに興味深いものがあった。

 

ブログに貼ろうとしたのに貼れないのでどうしたのかなと思って気付いた。

 

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この例はともかくとして、日本人は逆張り好きで、欧米人は順張り好きだと言われる。

 

その理由として、農耕民族DNAと狩猟民族DNAの違いだとする説もある。

 

狩猟民族は獲物を発見するまでは時間を掛けるが、発見したら素早く仕留める必要がある、発見してから仕留めるまでのプロセスだけを捉えると順張りしかないのは当然。

 

それに対し農耕民族は作物や家畜を時間を掛けて育て、育てる間は決して順調というわけではない、スタートは順張りでも単純な順張りではなく、回り道の多い順張りになりがちで、単純な順張りと比較すると正反対の行動に見えることすらあるだろう、それが逆張りの元かもしれない。

 

 

ところで、順張りだろうと逆張りだろうと予想外やハプニングによる番狂わせはよく起こるし、そもそも肝心なことを見落としているということも少なくない。

 

また、場合によっては肝心なことは意図的に隠されてることも多い。

 

そのような場合、隠されていたり、隠れていた事は、伏線として機能する。

 

逆張りが功を奏するケースでは、実は見えない伏線が張られてることは少なくない。

 

 

ドラマの脚本も昔の王道は順張りのオーソドックスな展開だったが、いつの頃からか伏線の回収の巧みさが求められるようになっている。

 

伏線の設定は脚本家にとって密かに仕掛けるサプライズ的な喜びがあったはずだが、『次はどんな伏線を考えてるんですか?』と求められることはちょっとしたストレスかもしれない。

 

また、目の肥えた視聴者は、何気ないシーンに張られた伏線を探ろうとついつい逆張りをしたくなる。

 

逆張りして、張られた伏線を当てることは快感が大きいので、逆張りの伏線沼にどっぷりハマってしまう。

 

伏線を過剰に意識するようになると、世の中は陰謀だらけに見えるし、信じられる事や信じられる人はどんどん少なくなる。

 

敵が味方で、味方が敵、それが伏線の世界。

 

 

嘘やフェイクや詐欺だけでなく、伏線も多数仕掛けられているのが現代。

 

未来の予測がどんどん複雑化し混沌とすることを嘆いても何も始まらないだろう。

 

 

神様はどんなシナリオを描こうとしてるのか?

 

そのシナリオにはどんな伏線が張られているのか?

 

迷える子羊だからとボーッとしてはいられない。

 

 

表面的には順張り派を装いながら、伏線を読もうと逆張りをする日本人は増えてるはずだ。

 

上記で引用したツイートが削除されたことも、いくらでも深読みできることがなんとも趣深い。