違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

意外と根強いプリクラ人気

あまり過去に遡ってもしょうがないが21世紀になって22年、それ以前から傾向としてはあったがより顕著になったのが大画面化だ。

 

テレビの大画面化に始まり、毛色が違う分野で言うと写真を多用する雑誌もサイズの大型化が進んだ。

 

ガラケーも大型化にシフトし、その後のスマホもだ。

 

モバイル性が重要でポケットサイズが理想とされながらも、結局大型化が進んでいる。

 

パソコンだってだ。

 

モバイルパソコンも大画面化にシフトしてるし、モバイル性を考えると自ずと限界サイズがあるが、その限界サイズの中でベゼル幅を減らしディスプレイサイズを拡大させるという方向に進んでいる。

 

そしてこの大画面化は画質の高精細化とセットで進んでいる。

 

現代における正常進化の一つが大画面&高精細ディスプレイで、現代人はその上で文字や写真や動画といったデジタル情報に接している。

 

当然ながら、表現される文字や写真や動画だって高画素で高画質に対応するようになっている。

 

ディスプレイ上でさらに拡大表示しても鮮明さが損なわれないほどになっていて、私たちはそんな環境を当たり前だと思っている。

 

ここまでは前置き。

 

今朝ふとそういえばプリクラって流行ってたなと思い出した。

 

Twitterで検索すると顔加工が派手にされたものが多数上がっているのが分かったし、GoogleTrendsで見ても衰えてる印象はない。

 

 

 

それなりの進化が感じられるしシールであることも関係してるだろうが、小さなサイズであることを考えると孤軍奮闘してるようにも感じられた。

 

それと同時に、もしかしたら高精細な写真を大画面のデータとして見るよりも、小さくて精細さで劣っていても実際に出力された写真の方が人を惹きつける魅力が高いのかもしれない、とも感じられる。

 

プリクラの写真は当事者が楽しめれば十分なはずで、写真として何らかの評価を求めたいわけではないだろう。

 

それに比べたら、実際に出力しないデジタルデータの世界では、ディスプレイ上での評価を求めて一喜一憂するという本末転倒が感じられる。

 

デジタルとして大きなサイズで精細さや高画質をもっともっとと求めることと、小さくても精細さで劣っていても実際に出力してアナログな存在にして楽しめることとでは、次は何をしようかと考える時に意識することは大違いなはず。

 

 

これはこれでインプットよりはアウトプットが大事という話に通じる気がする。