パワーハラスメントは嫌がられるが、パワーゲームを観戦することは好まれる。
暗殺事件が起きると、暗殺者の動機は何だったのかを含めた生き様が焦点になるし、そんな動機を作った暗殺された人の生き様が焦点になる。
しかし、現実社会は常に現在進行形なので、上記のような焦点は全て過去のことで実はおまけのような存在でしかないのだ。
安倍氏が暗殺された後の自民党のパワーバランスについて、チョロチョロ情報が洩れて来る。一方、選挙で大敗した日本共産党内部のパワーバランスに関する動揺などまったく聞こえて来ない。この差が政権の信頼度に関係してるのだろうなという気がする。賛否あれど、秘密結社の匂いがすると市民は嫌がる。
— マスコミを鵜呑みにするな大事なニュース (@sgsdogrun) 2022年7月15日
パワーバランスは常に現在進行形であり変化するのだ。
そんなパワーバランスの一端を示唆するような記事があった。
高市早苗氏の大ピンチ、「最強の後ろ盾」安倍元首相を失い孤独な挑戦が始まった
以下は高市氏を取り巻く力学に関して印象的なフレーズを部分的に抜き出したもので、興味ある方は是非本文に目を通して欲しい。
安倍晋三元首相の暗殺事件を契機として、自民党内の権力のバランスが大きく変わり始めている。岸田政権は昨年の内閣発足以降、主要な政策を軒並みトーンダウンさせた。
国民の人気が高くても党内基盤を持たない――。そんな高市氏には、大きな後ろ盾だった安倍元首相を失った今、過酷な運命が待ち受けている。
リベラル派である岸田首相とは元々ウマが合わず、自分の信じる政策へ一気に突っ走っていく高市氏の政治手法には、麻生副総裁、茂木幹事長が面白く思っていない。
「ただし、安倍元首相の死後、清和会の事実上の最終意思決定は森喜朗元首相が下すとされており、高市氏は森元首相との関係は悪くない。首相の座を狙うには厳しいが、一定の存在感は示していく」
まさに日本という小さなコップの中で吹き荒れてる嵐という感じがする。
高市氏のことを取り上げてるが、わたしは高市氏への思い入れは全く無く、単なる一例としてに過ぎない。
幸か不幸か国際的に存在感を示していた安倍元首相の暗殺に関しては交流のあった世界各国のトップからのお悔やみが発信された。
このような様子を見て、コップの中の嵐の影響力をコップの外側にも波及させたいという下心が国葬にするという発想につながったのだろう。
今だったら国葬を大義名分に世界各国のトップを招いての弔問外交が成立すると計算したのだろう。
これはこれでパワーバランスだ。
今年の1月に出版された『暗殺から見た世界史(著者:ジョン・ウィッティントン)』にはこういう記述がある。
1875年以降国家の指導者が狙われた300件近くの暗殺計画のうち成功したのは59件。
(この本の改訂版では60件となるのだろうか?)
著者によると、1875年以降の暗殺はある観点に立つと引き合う価値があるとまとめている。
その観点とは、権威主義体制が民主主義に変わるか否かという点だ。
また、こうも書いてある。
民主派のリーダーを殺害しても変化はほとんど起こらないが、権威主義派のリーダーが暗殺された場合に民主体制に移行する見込みは13%高くなるらしい。
テストで問われたら日本は民主主義のはずだが、実際の日本は民主主義なのか権威主義なのかが分かりづらい。
さあ、果たして日本のパワーバランスは現在進行形で変化してるのだろうか、それともガラパゴスなままなのか?
乞うご期待!