違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『可愛さ余って憎さ百倍』という世界共通の価値観

キッカケは次の記事だった。

 

 

 

以下の話は、エビデンスや証拠を前提とした話ではなく、極めて個人的な情緒的な話。

 

 

ルーツが絡むと事態は因縁めいてくるし、原因不明の人間同士が起こす厄介ごとを紐解いて行くとルーツが共通だからということに行き着くことは少なくない。

 

 

ロシアとウクライナの関係性を考える場合に欠かせないのは、陸続きで隣接してるという点。

 

つまり、ルーツは共通していても全く不思議はないということ。

 

海に囲まれた日本だって、ルーツを遡ると大陸側に行き着くし、基本的な考えや哲学も元は共通していたであろうことは薄々感じてる。

 

しかし、何かがクローズアップされる時は、対立や相違がテーマになる。

 

そしてその解決に、支配や服従が首をもたげてくる。

 

 

中国と台湾の関係性にもロシアとウクライナの関係性に似たものが感じられる。

 

同じことが起きてるという意味ではなく、ルーツが共通してそうなのに対立や相違で拗れてるという点でだ。

 

 

 

 

もっと身近なところでいうと、家族や親族間でも同様の拗れは起きやすいし、起きてしまうと赤の他人同士の拗れよりも厄介になる。

 

 

家族関係や人間関係そして民族関係も、上手く行く時はルーツを同じくする阿吽の呼吸の巧みさが感じられるが、拗れると修復不可能になることは少なくない。

 

ちょっと意味は違うかもしれないが、『可愛さ余って憎さ百倍』という諺があったことを思い出す。

 

英語でいうと次のようになるらしい。

 

 

The greatest hate proceeds from the greatest love.(最大の憎しみは最大の愛から生じる)

http://kotowaza-allguide.com/ka/kawaisaamatte.html

 

情緒的に考えると、アダムとイブも喧嘩をすると拗れたので、その血を引いた現代人も、何かと拗れやすいという遺伝子が脈々と薄まることなく受け継がれているのだろう。

 

つまり、アダムもイブも拗れやすい遺伝子の持ち主だったのだ。

 

しかしそもそもアダムとイブのルーツは?、という疑問は残ってしまう。

 

そのことを考えると夜も眠れなくなってしまう。