誰にでもある癖は個性ではあるが、そのままにしておくと自分の限界を低レベルにすることにも作用する。
今回は思考にも癖は出るという話。
気付かせてくれたのはChatGPT。
4月に入ってからChatGPTをよく使うようになり、今日5月に入った途端にふと思った。
これまでChatGPTにした問いかけに対する答えには概ね満足していた、それは自分が望んだり予想していた答えから大きく外れるわけではないがその都度私にはなかった視点の提示があったりしたからだ。
そして今日になって気付いたのが、私にはなかった視点の共通点だ。
私はいつの頃からか、何かを知りたいと思ったり疑問を感じた場合に、その反対概念は何だろうかと考える癖が身に付いている、完全な思考の癖だ。
そのせいだろうが、ごく自然に物事や人を対立関係や敵対関係に置き換える癖がある。
しかし、ChatGPTは対立関係や敵対関係は相互補完という関係性も併せ持っていることを指摘することが多いのだ。
改めて敵対や対立という関係性とは相互補完性もあるというのは新鮮だった。
私の思考の癖を、すでに知ってる別の表現に置き換えると、人が人を好きになったり嫌いになるのは自分に似てるから、あるいは自分と似てるからであったり、自分とは違うからというのが近そうに感じられる。
しかし、そのことを知ってるだけでは相互補完という関係性は思い浮かべなかった。
このような視点を持つと、ロシアとウクライナの見え方も変わるし、それぞれの国を支持する背後の関係性も見え方が変わる。
悪く作用すると陰謀論に影響を受けるなんていうことも警戒する必要がありそうだが、多くの場合で思考の癖が招く偏りの修正に役立ちそうな気がする。
振り返ると、一般的なネット検索や読書では選ぶ情報やテーマや著者や作者は好きなものに偏っているのが当たり前なので、嫌いなものやあえて選ばないものとの間に相互補完を形成する共通点あるなんて気付きにくいのだ。
最近否定的な話が増えてるが、ChatGPTはバカとハサミによく似ていて、使いようなのだ。