わたしがコスト削減というワードを認知したのは今から25年前頃。
日本ではバブル崩壊のせいもあり、売り上げよりも利益が大事だという意識がゆっくりと浸透し始めていた。
売り上げが同じなら利益の最大化はコスト削減に掛かってくる。
誰もが理屈は分かるのだが当時は大きなハードルが経営者のメンタル意識だった。
一見無駄なコストを掛けるからビジネスにつながることもあれば、それは同時に虚栄心や見栄を満たす効果も大きいので経営者の自己満足度が高かったのだ。
25年前頃の経営者にとってのコスト削減はカッコ悪いことだったのだ。
費用対効果があるとはいえない支出は、例え世間や外野からはビジネス対ビジネスの取り引きのように見えても実質的には接待交際費となる。
経営者はそれが分かっていても、いや分かっているからこそやめられなかったのだ。
それは、経営者間の人間関係や情報ルートの要になってるという思い込みと、それを断った場合の反動を過度に恐れたからだ。
そんな頃から25年も経つと、一通りのコスト削減はやらない方がおかしいとなってしまった。
一見ムダに見える支出は、巡り巡る儲けや損の皮算用と天秤にかけた上で儲けが期待できる皮算用が成立しなければ実行されなくなっている。
そんなコスト削減も行き詰まりを迎え息が詰まり始めている。
こういう時は、180度反対の価値観が台頭するものだ。
内容の比較が必要になるが、派遣と直接雇用のように、外注(アウトソーシング)よりも内製(インハウス)のように。
派遣や外注の増加により得られた儲けは、社内にあったはずのノウハウや知恵の切り売りだったので、トレードオフの関係にあるノウハウや知恵が枯渇した時点で効果も終了。
知恵やノウハウが枯渇した企業がまともな形で蘇る可能性は低いが、そんな企業を見ていた新しい経営者は同じ間違いは避けようとするはず。
コスト削減の第二章はきっともう始まっている。