ハロウィンで盛り上がってる人が退去して押し寄せたことで大事故が発生した。
梨泰院圧死事故:「立ったまま圧死した犠牲者多い」証言複数…専門家推定の死因は「圧着性窒息死」
狭い通りに大勢の人が次から次に押し寄せると、身動きが取れなくなり行きたい方向に向かえないだけではないのだということを思い知らされる事件となった。
似たようなものとして日本の山手線の満員電車があるが、この場合は乗りたいのに乗れない、降りたいのに降りれないことが問題で、圧迫に関しては密着することの不快感や痴漢される心配や痴漢の冤罪を恐れることはあっても圧死などは誰も想像してなかっただろう。
韓国での圧死事件を山手線に例えるなら車両のドアは両側とも開いていて、そこに両側から乗客や降客が押し合いへし合いしてるイメージだろうか、車両の中央部にいる人は満員電車の比ではない圧力がかかることだろう。
この様子を想像していて、ふと思い浮かんだのがビジネスにおけるレッドオーシャン。
流行に一斉に各事業者が飛びつき、流行を生み出した企業ですらシェアを奪われるような市場競争で、苦労や努力の割には報われないことを意味するが、レッドオーシャンと海(水)に例えられることで、密集して身動きが取れずに楽しめないイメージは十分持てるが、あくまでも海水の表面上を舞台にしたイメージなので圧死などはイメージしない。
圧死には至らないとしても、あくまでも身動きが取れないというイメージにはなりがちだが、本当は自分が行きたい方向に行けずに全く違う方向に押し出されてるイメージが現実に近いのかもしれない、と感じられたのだ。
こういう場合、押し出される方向に活路を見出そうとはなかなか思えない。
冒頭の事故では、実は押し出された方がラッキーだったのだが、押し出された時にはそうは思えなかっただろう。
目的地をあまりにも限定したドライブや旅行だと、選択するルートも限られる。
目的地によっては、どうやっても渋滞や大混雑は避けられないということは珍しくないし、目的地に着いても、覚悟してたはずでも、『どうしてここに来たかったんだろうか?』と思うことすらあるだろう。
目的地と宿泊がセットであれば、そしてそれが予約したものであればあるほど臨機応変にとは行かなくなる。
アウトドアやキャンピングカーのブームには臨機応変さを求めてというのもあるのではないかと感じられるが、そんなアウトドアやキャンピングカーの分野もレッドオーシャン化してるように感じられる。
この場合のレッドオーシャンは事業展開してる側というよりもユーザー側で、日本のように国土が狭いと楽しむための場所が少ないのでそこがレッドオーシャン化し、マナーの問題などで顕在化する。
レッドオーシャン化を避けたければ、地味に目立たないように行動しなければいかないが、不特定多数を相手にする限り情報はあっという間に伝わる。
事業や儲けのネタの99%は、真似をすることなのだから。
オリジナルで作り出したものでも、オリジナルなのは最初のアイデアだけで、実用化を既製品の組み合わせで実現してれば、いとも容易く真似される運命だ。
アナログの時代には手先の器用さを活かして上手に真似をすることが得意だった日本は世界をリードしたが、デジタルの時代になり、真似をすることはコピーと呼ばれるようになるともはや手先の器用さは要求されなくなった。
これが日本の弱体化の真の理由かもしれない。
レッドオーシャンは避けようと思うよりも、楽しむことを考える方が良いのかも。
レッドオーシャンでも楽しめれば、それは自分だけのブルーオーシャンのはず。