まさにタイトル通りのことを考えた。
私は割と検索する方だと思っている。
その理由は、
- 選択肢は自分で見つけたい
- 情報の取捨選択及びその解釈は自分で判断したい
- 身近な人の意見や考え方と違うものがどのくらいあるかを知りたい
などなど。
心のどこかで、隠れた真実や、隠された真実があると思い込んでいるからだ。
こういうタイプは、ハマるかどうかは別にして、陰謀論めいたものは嫌いではない。
当然ながら、無闇矢鱈に検索するのではなく、自分のアンテナに引っかかったものにしか興味は示さない。
ただし、検索の過程で当初想定すらしてない分野に関心が膨らむことはよくあるが、基本的には深掘りが好きなタイプで広く浅くというタイプではない。
このような性格や趣味嗜好と長年付き合っていると、興味や関心があることに出会した際の検索の仕方や検索ワードの選択に強いワンパターンを感じることが少なくない。
検索の結果ヒットする情報の傾向が、それぞれ分野が違うことなのに似通ったものに感じられ、自分の語彙や思考パターンの貧困さがその原因だと思うと、気の利いた検索手法が浮かばないならむしろ検索はしない方が良いかもと感じることがある。
これがいわゆるフィルターバブルならば、似たようなことを感じてる人は多いかもしれない。
だからだろうか、意外な刺激を受けるのがTwitter検索だ。
ブラウザ検索でヒットする情報とは全く違うものがヒットすることは少なくなく、深掘りはできないとしても、切り口や捉え方に対して新視点が見つかることもある。
新しい視点が見つかれば深掘りしたくなる。
深掘りするならば、情報量は多い方が良い、だとすればブラウザ検索の方に分があるのは自然な流れだ。
大事なことは、検索によって見つかるのは答えではないということだ。
見つかるのはあくまでもヒントで、ヒントは一つだけ見つけても役には立たない、複数のヒントを照らし合わせることで中心像を絞り込んだり迫ることが可能になる。
三人寄れば文殊の知恵という諺が意味する三人とは、有能な人ではなくごく普通の人のことだ。
デジタルで武装した現代人は知識は豊富でも知恵は貧弱で、三人集まっても文殊の知恵には程遠いとすれば、やはり検索に頼るのは賢明なはず。
検索で複数のヒントを得ることを求めるには、俗に言うリテラシーは必要不可欠で、この場合のリテラシーは知恵と読み替えても意味は同じだ。
検索は万能ではないが、それが検索しない理由であるならば、確実に知恵を失うことにつながる。