本当に欲しいものや本当に必要なものにはコストを惜しんではいけない。
安物買いの銭失いになってしまっては元も子もないからだ。
しかし、そのことを実感を伴って理解するためには安物買いの銭失いを実際に体験して落ち込むことが必要で、他人の失敗談を疑似体験として有効活用できる人は稀だ。
一方で、必要ではあるが最低限で充分な場合は、安物買いの腕の見せ所でもある。
あるいは、必ずしも必要ではないがあれば役に立つ、しかし想定してるより安く買えないならば要らない、そのような葛藤の対象になるもの、というのが私には時々発生する。
またよくあるのは、自作熱やDIY熱に取り憑かれて百均やホームセンターで材料を漁って上手く行くと、『俺はきっと天才だ』と高い満足感が得られ、失敗すると『こんな安物買いの銭失いをするなんて俺は世界で一番愚かで不幸な男だ』と落ち込む。
こういうことを大学入学以降時々繰り返して今に至っている。
頭の中ではいつも『最良の選択は何だ?』『工夫の余地はどこにある?』という禅問答が繰り返されてる。
最良の選択や工夫の余地にはいつもトレードオフの関係にある要素が同時に出てくる。
私の場合は、自分の労力が要求されることは厭わないので、しばらく失敗経験から遠ざかるとついついチャレンジしたくなってしまう。
これまでの経験から、道具はケチるべきではないと理解してる、しかし、それ以外は禅問答の対象になるのだ。
得られる満足や納得と掛けたコストはあまりバランスが良いとは思えないことが多いから。
今日、安物買いの銭失いのようでいて辛うじて落とし所を見つけられたような出来事があった。
もっと具体的に書こうかとも思ったが、振り返ると似たようなことばかり繰り返してるなと感じたので曖昧なままに。
思えば禅問答ばかり繰り返してるような気がする。