違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

グローバルニッチと和モダン

朝見ていたモーニングショーでグローバルニッチをテーマにしたコーナーがあった。

 

 

今の日本国内では例外的な存在の中小企業を取り上げて、それを見習いたいと訴える展開は個人的には強く共感できたが、Twitterではさんざんだった。

 

そのTwitterでのリアクションを見ていて、これはノイジーマイノリティの反応だとは思っていても、日本の病巣を見てるようでもあった、一言でいうと『貧すれば鈍する』。

 

貧して鈍した者は、妬みや僻みに身も心も蝕まれるということを思い知らされるようでもあった。

 

 

話を脱線させたくないので、グローバルニッチに戻りたい。

 

グローバルニッチがどういうものかは次のツイートのリンク記事を読んでほしい。

 

 

 

この記事を書いた方はモーニングショーにも出演していて、訴えている趣旨は同じで次のようなもの。

 

 

日本には現在、製造業が40万社ほどありますが減少が続いています。今後も日本国内でモノづくりをして生き残りたいと思ったら、極めて高い競争力を持つニッチトップ(NT)型製品を自社開発するしかないでしょう。

 

 

昔から言われてることに、『付加価値はものづくりにしか宿らない』がある。

 

時代の変化でものづくりが指し示す範囲は大きく変化してるはず。

 

良い意味でのCool Japan的なものも含められるはず。

 

 

個人レベルでもグローバルニッチは意識したいキーワードだと感じられた。

 

そうするとテクノロジーの最先端なんて望むべくもない。

 

日本で生まれ育って世界に出ていくような生き方はもはや出来ない身としては、新しい何かをしたければ温故知新が一番しっくり来るような気がする。

 

個人的には『和』なものはあまり好きではない。

 

『洋』の方が好きなのだが、いつも思っていたことに、『洋の文化で生まれ育った人々が和に惹かれるのはなぜだろうか?』があった。

 

生まれ育った日本が衰退してるからと言って、日本や日本的なものを否定することはないはずだ。

 

古民家が見直されたり、ただ古いだけの建物をリフォームして和モダンにするだけで、洋に惹かれていた気持ちを惹きつけることも可能になっている。

 

『和モダン』は『和』ではなく、国籍不明文化だという人もいる。

 

『洋』でも『和』でもないかもしれないとしても、人を惹きつける力が宿っているなら、それは方向が正しいということだ。

 

和モダンという表現がすでに色が付いているので、先入観の影響を受けやすいが、あくまでも『和』を見捨てた人に向けて『和にも良いところはあるのでは』と伝えたい。

 

世界に目を向けグローバルニッチを意識するなら、『和』を意識する方が斬新さは際立ちやすいかもしれない。

 

 

これはこれで灯台下暗しなのかもしれない。