今更ながら「空気」について考えてみた。
ここで言う空気とは、空気を読むとか読まないという空気のこと。
コロナ前、マスクをするのは医療関係者や衛生関係者や病気を避けたいと考えてる人が中心で、例外的に顔を隠したいと思う人くらいだった。
それがコロナ禍ではほぼ全ての人がマスクをするようになった。
マスクをしない人は、決して反社会的な存在というわけではなく、自分が望む呼吸が妨げられることを嫌がる人か、世間に迎合を余儀なくされることに拒否反応を示すような人。
コロナ前だと犯罪者や反社会的な人ほど顔を隠すためにマスクを使いたいけど、使うとその姿が周りで浮くであろうと思っていた人たちは、好都合だと感じたかもしれない。
欧米ではマスクは習慣化しなかったようだが、日本ではマスクは習慣化が定着したのかもしれない。
人間には習慣がある。
個人的な習慣もあれば、家族間の習慣など非常に身近で限られたものもあれば、学校や職場や業界の習慣という所属環境に依存するものもあれば、地域の習慣などもあるし、日本人だと日本の習慣というものにも縛られているだろう、縛られてるという意識は乏しくても。
習慣を持ったり、習慣に従うことは、思考や行動のルーティン化を容易にする。
だから、空気と習慣には密接な関係が生まれる。
説得したり納得させる場合に展開するプレゼンの成否には、相手の習慣を知ってることは有利だ。
利用できる空気があることは武器となる、
あんなに独占的に絶好調だったGAFAに翳りが出てると言われてるが、今や私たちの生活習慣はGAFAの影響を受けたものになっている。
GAFAは、次のサービスをどう展開するかが急務になっているが、せっかく世界の人々の習慣に及ぼした影響をリセットするのか、それともさらにその影響を深めようとするのか?、いろいろ模索してることは伝わるが帯に短し襷に長しの感が拭えない。
世界の人々の習慣を作ったGAFAが、それを活かした新サービスは簡単には作れないというのは、習慣の行き詰まりのようにも感じられる。
一種の過ぎたるは及ばざるが如しなのか。
一方ですっかり落ちぶれたといわれる日本企業は、古い習慣を手放せなかったから落ちぶれたとされている。
これらの現象が意味するのは、一周回って日本的な習慣にチャンスが回ってくるということとも受け取れる。
そういえば昔の人はこんなことを言っていた。
待てば海路の日和あり
果報は寝て待て
意識高い人は、待つことを非効率で愚かなことだというが、そうでもないということを未来が教えてくれるかもしれない。