PCに始まりスマホへと繋がった発展はディスプレイ中心時代の始まりだった。
ディスプレイの役割は表示すること。
表示するもの(コンテンツと呼ばれる)は長らく人間が作るものだった。
そう考えると紙や本もディスプレイだと言えそうだし、教室の黒板なんてディスプレイの典型ですらある。
そして今ではディスプレイは操作するためのインターフェイスでもある。
そんなディスプレイの分野に生成という概念が持ち込まれた。
ドコモが狙う“スマホの次“ iPhoneから「Vision」の時代へ
ここ数年、IT業界は「スマホの次」を掘り当てようと躍起だ。かつてはウェアラブルやIoTなどが期待されており、つい最近までは「メタバース」が盛り上がるとされていた。しかし、ChatGPTなどの生成AIが登場すると、業界は猫も杓子も「AI」をもり立てるようになった。 一時期に比べてメタバースは沈静した感があるが、着実に市場は広がりつつある。
人間活動では常に『次』が重要になるが、多くの場合は既存のベクトル上で展開される。
生成は新しいベクトルなのかそれともまだ既存の延長線上なのか、それは今後の展開が教えてくれるだろう。
マジックやトリックが成立するのは脳を誤解させることに成功するから。
人間の思考は文字を介して行われ、イメージは脳内のスクリーン(つまりディスプレイ)に投影される。
スクリーンは平面でもそこに描かれるイメージを三次元処理する能力が脳にはある。
目や耳から入力される情報は本来は三次元だからだ。
脳への入力のインターフェイスは五感、それに正体不明のいわゆる第六感もある。
脳からの出力としてのアウトプットの大半は手や指や足や脚を使って行われる。
生成という分野は確実に人間の脳へのインプットには大きな影響は与えるようだが、それによって従来とは異なるアウトプットが行われているとはまだ感じられない。
ディスプレイの時代が当分続くとするなら、その当分の主役は解像度の向上かもしれない。
その結果が及ぼす人間への影響、特に脳に対しては、没入感の増加だろう。
没入感の増加が人体や脳に与える影響は、晒される時間の長さに関係しそうな気がする。
良いことも悪いこともスマホの比ではなくなるかもしれない。
没入感の増加というのは確実にこれからのキーワードの一つになりそうだ。