豊富なデータを分析することで傾向が読み取れると思うことには疑問を感じにくい。
その豊富なデータがさらに巨大なビッグデータになるとさらに信頼度は上がるという思い込みに繋がる。
その思い込みは、過度に数字に対する信頼という名の依存を生んでいるのかもしれない。
ずいぶん昔から思っていたことに、CMや広告宣伝で顧客満足度〇〇%やリピート率〇〇%という表現が増えた頃から『ああ、またウソをでっち上げてるな』というのがある。
そうなると、パーセントで表示される情報が全部その類に思えてくる。
こういう人はわたし以外にも多数いるはずだ。
データの信頼性にはサンプル数が関係しそうな気がするが、サンプル数が少なくても信頼度があると説くのが統計学で、統計学では最低サンプル数が400あれば信頼に足るとしている。
しかし、この理屈は今や悪用しかされてないのかもしれない。
検索するというのは意識の高さの現れでもある、検索の推移には意識の高さの変遷が現れるはず。
統計学がやたらに注目されていた時期があったが、それは2000年台の初期だったのだ。
GoogleTrendsのグラフの傾きが、統計への失望を現しているように思える。
このグラフに「データ」を加えると、
こちらもピークは昔だと分かるが、統計ほどの見捨てられ方はしてないのは、データという表現が漠然としてることと、データとしか呼びようがない情報があるからだろう。
では、統計やデータは何のために用いられるかというと、一言で言うと分析のためだ。
同じ統計やデータを基にして何を導き出すかは様々あるかもしれないが、その何かを導く作業が分析になる。
Google Trendsのグラフに「分析」を加えると、
おもしろいことに「統計」と「分析」はほぼ同じで、セットとなっていることが想像できる。
この二つだけで比較すると、
やっぱりほぼ同じ。
統計や分析は、新聞やテレビと同様に、引用して活用するとそれなりに体裁が整う情報に仕立て上げることが簡単にできる。
逆に言うと、受け身で情報に接する人を誘導したり、騙したりが容易になる。
信頼を寄せることは依存でもあるのだ。
上手なプレゼンが増えれば増えるほど、そこで提示される情報やデータは疑わしいと思わなければいけないようになっている。