違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

生き延びるヤバい世界

パチンコ業界の苦境を伝える記事があった。

 

パチンコホールの倒産が過去10年で最多、大淘汰時代に突入か
1/21(土)

 

 

私はパチンコをしないし、タバコの煙が大嫌いなのでパチンコには近づかないと言いたいが、それでもパチンコ屋に入ることがあった。

 

トイレを使うためで、街中や郊外でトイレに行きたいと思った際に、最も手っ取り早いのがパチンコ屋を探すことという時代があった。

 

その頃は、都合よく公衆トイレが見つからなかったような記憶もある。

 

私にとってはコンビニのトイレを借りるのはよほど切羽詰まった時だけで、借りるにあたって罪悪感がないのがパチンコ屋だったが、罪悪感がなかったのはあくまでも店内が満員だったから。

 

記事の中から、時系列でパチンコ屋の衰退を感じる部分を引用すると、

 

パチンコホールの倒産は、CR機の規制が入った1997年に106件と急増した。

 

大量獲得できるパチスロなどの射幸性が問題となった2001年も105件に達し、第1次淘汰の幕開けとなった。

 

 

2006年にパチスロ4号機の撤去が始まると、資金力の乏しい小・零細ホールは遊技台の入替が難しくなった。

 

2007年の店舗数は前年比8.0%減の1万3,585件と急減。同年の倒産は1989年以降で最多の144件に急増し、第2次淘汰の嵐に突入した。

 

 

2011年3月の東日本大震災で遊技人口が急減し、店舗数も減少が続いた。

 

 

 

街中であったはずのパチンコ屋やガソリンスタンドが閉店し、さらに建物がなくなり街の景色が変わることは珍しくなくなったことの裏には色々な物語が想像できる。

 

最近ではコロナの影響をさまざまな角度から受けているだろうが、この場合は客の動向が大きい。

 

一方で、規制や法律の影響も大きくパチンコの場合はその影響を強く受けている。

 

昔、パチンコ屋が大盛り上がりしてる頃は場末の小さなパチンコ屋もいつも満員だった。

 

明らかに仕事をサボって来てる人が多数いた。

 

私の周りにもパチンコをする人は多かった、私のようにパチンコを全くしないという人は少数派に感じられるほどだった。

 

大儲けしたという話を自慢気に聞かされることも少なくなかった。

 

いつも不思議に思うことがあった。

 

パチンコ屋の周りには、サラ金や貸金業の看板が多かったことを。

 

同じことは、昔の新幹線に乗っていても感じた、東京以外の地方の中核都市の駅の周辺にはサラ金や貸金の看板がやたらと多かったことを。

 

目につく度合いが東京と地方都市では大違いだった。

 

パチンコの衰退の裏には貸金業法や金利を取り巻く環境の影響も大きいはず、というよりもその影響の方が大きいのかもしれない。

 

元手となるお金を借りられないからしたくてもできない人が増え、パチンコをしても出る玉が減り換金される額が減る、この繰り返しであったはずの熱意が消えたというパチンコ愛好家も多いように感じる。

 

 

街中にあんなに多かったサラ金や貸金の看板をかけていた事業の需要も時間をかけて大きく変化したはずで、この間にネットやITなどリアルな場から仮想の場に舞台がシフトしたので、世の中で起きてる現象が必ずしも目に見えるわけではなくなっている。

 

 

パチンコが衰退してるのは、パチンコ業界が健全に運営され、法に背いた展開が許されないからでもあるだろう。

 

ヤバい世界はますます地下に潜って人目には付かないし、情報の共有も進みにくいだろう。

 

 

ヤバいといえば最近では自然災害を思い浮かべる人も多いだろう。

 

地震や台風や水害、差し迫ったところで言うと明日以降に予想される大寒波など。

 

何が起きるかが分かっていれば対処する人は多いのだろうが、結局ほぼ何も事前には対処しないままで情報の不足や精度の低さを非難したり嘆くことだけを繰り返すだけ。

 

 

その結果ヤバい世界は手を替え品を替え生き延びていくのだ。

 

 

クワバラ、クワバラ