違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

パチンコは遊戯だがエンターテインメントではない!

コロナ前のビジネスの原則は、

 

 

  • 客単価を上げる

 

  • 客単価に占める原価を下げる

 

  • 客数を増やす

 

 

この3つを無限ループで追いかけることだった。

 

 

 

リアルな物理空間に人が集まる現場では、否応なく効率的な理想環境は人を詰め込む3密(密閉、密集、密接)空間になる。

 

 

エンターテインメントというキーワードで括られる分野はどこも多少の程度の違いはあれど当てはまるはずだ。

 

ホールやスタジアムが典型だ。

 

 

そのような現場では、客は一般的にはファンと呼ばれるが、ファンと呼ぶとほのぼのとした雰囲気が感じられるが、ファンは信者であると表現されることもあり、その場合は『儲=信+者』と分解されることに由来するのは有名な話。

 

 

人が集まる場の中心にはがあるのだ。

 

 

 

以下は、パチンコおよびパチンコ屋に焦点を絞った話。

 

パチンコは、風営法で警察の許可を受ける必要があるが遊戯とカテゴライズされ、パチンコ屋は遊戯施設であり遊技場になる。

 

遊戯と呼ばれることで、世間ではエンターテインメントのジャンルに括られることが多い。

 

 

パチンコ(屋)という存在は、エンターテインメントビジネスの本質を象徴的に、良くも悪くも誇張して現していると感じられるが、そんなパチンコのファンであり信者である客は、実態に目を向けて厳しめの言い方をすると“儲け中毒”患者とも言えそうだと改めて感じさせる話題を拾ってみた。

 

 

当然、パチンコ業界の中でも温度差はある。

 

 

 

 

 

自粛に応じない理由として従業員の人件費を含めた固定経費の多さを上げるパチンコ屋経営者は多いが、それに関しては全ての経営者が同じだ。

 

他のビジネスと決定的に違うのは客層に尽きるのだ。

 

他のビジネスでは、店が自粛する前に客が自粛行動を取っていたので、店は自粛をせざるを得なくなった。

 

しかし、パチンコ屋は開けてれば客が来るのだ、それもいつも以上に。

 

 

自粛要請でもパチンコ店に通う客の嘆き「給付金10万円吸い取られた」

 

 

〜〜以下引用〜〜

 

 

50代の建築関係者は声を荒らげた。

「渋すぎるで。1000円で12~13回転や。普通なら20回転以上やろ。こっちはリスク冒して来とるのに、いくらなんでも締め過ぎちゃうか。午前中だけで3万円の負けや」

 

68歳の無職男性は、

「パチンコで暇つぶしが習慣なんや。この店しかないから来た。店もサービスしたらええのに、自分(パチンコ店)らも勝負をかけとるんやろな」と、妙に納得した口調でそれでも別の台に向かう。

 

元公務員の男性(65歳)は、

「こりゃ勝てんわ。もう(コロナ対策給付金の)10万円をパチスロに吸い取られた」と嘆いた。

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

事例数が3つだからパチンコ客を論じるには少な過ぎるが、わたしの周りにいる人や、あるいは過去にいた人たちの様子からは、エンターテインメントとしてパチンコを楽しんでる人は見たことがない。

 

しかし、調査をすると、

 

 

 

 

この調査結果と、持ってるイメージや先入観とのギャップを、説明できる理由として、人間は本音を隠す、あるいは、自分の本心に気付かない、ということがあるような気がするし、最初は気分転換や暇つぶしだったが、徐々にミイラ取りがミイラになったのかもとも思えてくる。

 

 

パチンコの場合、エンターテインメントの枠に括られるが、他のエンターテインメントと決定的に違うのは、客が儲かりたくて来てるようだという点。

 

 

パチンコに限らず、カジノやギャンブルは宝くじを含めて胴元だけが儲かる仕組みが確立してるので、エンターテインメントを楽しむという価値も見出せなければコスパが悪いのは当然だ。

 

一般的なエンターテインメントは、楽しめたか、あるいは感動できたかという心の満足度でコスパが評価されるのに対して、パチンコの客は転売屋と同じメンタリティを漂わせていて、パチンコに投じる費用は投資であり仕入れに似ている。

 

それが当たっているなら、パチンコ客は一般的なエンターテインメントのファンや信者とは同じカテゴリーで括ってはいけないのではと感じられる。