違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

友達は必要?

『友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう友達の輪!』、こんな合言葉で始まっていたタモリ(森田一義)のテレホンショッキング。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/テレフォンショッキング

毎回、日替わりでゲスト(番組内では「テレフォンゲスト」と呼ぶ。以下同様)を番組に招き、司会の森田一義(以下タモリと記述)とトークを展開するコーナー。番組初回から最終回まで唯一一貫して放送されていた長寿コーナーであり、同番組の看板コーナーであった。初回(1982年10月4日・第1回)のテレフォンゲストには桜田淳子、最終回(2014年3月31日・第8054回)にはビートたけしを迎えた。

 

 

最近凶悪の度を増してる詐欺集団はさまざまなリストを活用してると言われる。

 

日本人はたぶんリストが好きな民族。

 

多くの日本人が友達のリストを持っていることだろう。

 

そして、その数の多さを競ったり、多いと優越感を感じたり、少ないと劣等感を感じたりする人が少なくなさそうにそうに感じる。

 

始まりは小学生になる頃なのかもしれない、『友達100人できるかな〜』と。

 

無邪気な気持ちで始まる友達のリスト化だが、やがて友達の数の多さを競ったり、それを人脈と呼ぶことで序列化したりに繋がったはず。

 

携帯電話に登録してる人はおそらくリアルな知り合いのはず、それに対してSNSのフォローフォロワーの関係はリアルな知り合いとは限らない。

 

冷めた目で見るとバカバカしく感じる数字の競い合いは、夢中になってる人にとっては命懸けの場合もあるとするなら滑稽だ。

 

しかし、その数は勝手に意味を持ったり、意味を与えることができるようになったのが今という時代だ。

 

以前こんな話を聞いたことがある。

 

『あなたが友達だと思ってる人の6割〜7割はあなたのことを友達だとは思っていない』、そんな調査結果があると。

 

 

そういうことを感じさせるツイートが流れていた。

 

リプライにも目を通し始めるとあっという間に時間が過ぎていた。

 

 

 

最近は、『友達なんていないよ』と自ら言う人も珍しくないし、『気心が知れた2〜3人がいれば十分』というような声も聞く。

 

友達の数を自慢するような人が身近にいると、バカバカしさに気付きやすいかもしれないが、その人のようになりたいと憧れる人も少なくないかもしれない。

 

 

上記のツイートを見て思い出したのが、最近の女性の中には結婚はしたくないけど子供は欲しいという人が増えてるという話。

 

優秀な遺伝子を持った精子で人工授精でという価値観は、女性が単独で経済力を持てていると同時に、価値を認めない人間関係は排除したいという思いの強さゆえだろうか。

 

 

最近飲食店で連続して発生してるペロペロ事件だが、やった本人が悪いのは当然だが、周りにいるノリが似た友達を持ったという不幸の連鎖だとも感じる。

 

事件の詳細に目を向けると、主犯とされる人物は、悪友に唆された被害者というケースもあるかもしれない。

 

そうだとすると構造的にはいじめになる。

 

変なのを友達にするくらいなら友達なんていない方が良いという時代になっている。