ビートたけしが討論番組の司会を始めたのが1989年のTVタックルから。
島田紳助が「サンデープロジェクト」の司会を始めたのも1989年。
どちらも政治経済を含めた社会のテーマを討論形式で展開するもので、他の出演者は各界のそれなりの重鎮が出るためただのバラエティの枠を超えていた。
現代の政治経済を取り上げる番組がバラエティ化ワイドショー化してることに大きな影響を与えたはず。
弁の立つお笑い芸人が社会問題に斬り込むミスマッチは、逆に強い生活者視点を代弁することが可能でとても新鮮だった。
時期が重なるかどうかは調べてないが、ドラマでそれまで悪役を演じていた俳優が良い人や正義の側を演じることが増えたのもその頃のような気がする。
21世紀に近い20世紀の頃からそれなりの地位を築いてると思しき人が、自身の専門領域を変えたり、あるいは専門を武器に活動領域を異業種に拡大するということが増えるようになった。
各種の討論番組でよく見かけていた各界の専門家や事情通の人が、いつの頃からか大学教授の肩書きにすり替わっていることに気づき始めたのもその頃のように感じる。
営業系の会社で良い成績をあげた社員が管理職になって行くのに似てる気がしていた。
営業系の会社では、成績が上げられるなら管理職よりも高い給料を手にすることが出来る、だから連続挙績に自信がある人は現場を離れないし自分のことだけを考えていれば良いのでストレスが少ないが、それを継続するのは並大抵ではないので、一定の実績を上げると管理職になって楽をしたいと思うのに似てるように感じていた。
その管理職になることと、別の領域で肩書を変えて生きることが似てるように感じられる。
これは一般にいう転職とは大違いで、一般的な転職の多くは従前の状態の踏襲から抜け出せない。
せいぜいブラックの度合いが薄まればラッキーという程度だろう。
そして現在では、テレビのバラエティには大学の肩書をつけた人が溢れている。
昔と違うのは教授ではなく、なんだかよくその実態がよく分からない肩書をつけてだ。
そのような人々は、大学に関連してる肩書を武器にのし上がれそうな分野を模索中なのだろう。
同様に、有名人として露出が多かったが自身の発言や行動で躓いて露出の機会を奪われた人が政治家を目指すことが増えた。
この場合、有名は無名に勝るという絶対的な強みで当選することが少なくない。
一般的には良いことではないのがミスマッチだが、ミスマッチは可能性は秘めてるかもしれない。
今伸び盛りの企業や業界にはミスマッチが入り込む余地は少ないだろう。
しかし、成熟して良くも悪くもまったりしてる企業や業界は、世間一般での注目度は低いし冴えないという烙印は押されてるかもしれないが、時間稼ぎと実績作りには役立つ可能性がある。
成熟してるということは知名度には期待できるかもしれないから。
ミスマッチを武器にしたければ入口では錯覚させることが重要。
錯覚は強い期待を生む。
昔と違って現代は、ミスマッチが生む錯覚の許容度は上がっている。
狙うのはあくまでも錯覚で詐欺にはならないように。