最近の社会では、日々理不尽な事件が起きている。
犯人や加害者が悪いのは当然だとしても、被害者にも落ち度や不注意や反省点があったのではないかと、事件や事故の都度世間という外野は騒ぐ。
最近の一連の闇バイト関連では、犯人や加害者ですら被害者としての側面も見えている。
闇バイトに応募したことに対して後悔先に立たずの思いだろう。
一方で、被害者側には後悔先に立たずの思いはあるだろうか?
どうしてあんな事件や事故に巻き込まれたのだろうかと思わないはずはない。
なぜ自分や自分の家族じゃなければいけなかったのか、そう思わないはずはない。
そして、おそらくその答えらしきものにも、思い当たることがないわけではないという場合が少なくないはず。
もし、ほんのちょっとでも思い当たることがあればそれが後悔につながることは不思議ではない。
もし思い当たることがない場合、そのことが真相に近付けないもどかしさと結び付いたら、それはそれで後悔に似た思いかもしれない。
後悔には三種類があることが感じられる。
- しなければ良かったという後悔
- すれば良かったという後悔
- 何が理由だったか分からないという後悔
後悔のほとんどはやはり三つのことに収束する。
- 純粋に自分のこと
- コミュニケーションに起因して
- 理由を求めてもしょうがない運の悪さを嘆くような
どちらの場合でも3番目がある限り、後悔しないために備えようとすることを賢明だとする判断が働く、世間では転ばぬ先の杖と呼んだり、砂金掘りにツルハシと呼んだりする。
そしてその都度、杖やツルハシをもっと良いものにすれば良かったと後悔したり、杖やツルハシを持てば良かったと後悔したり、中には杖やツルハシを持ったことを後悔する人もいるだろう。
杖やツルハシは他の表現に置き換え可能だ。
今日もどこかで後悔先に立たずを意識してる人がいる。