時間の流れを考えると、過去があったから今があるわけで、今があるから未来につながる、という一方通行は極めて自然だ。
そして、今はほぼ確定的なのに対し未来は未定だし予測不能な要素があるというのも極めて自然だ。
これを踏まえて聞くと興味深い話があった。
この言い回しはこれからも使おう(笑)、まあ自画自賛だけどな→そんな日米のITの現実を「詩的な」表現で言うと、次のようになる。米国では最先端技術を使ったイノベーションなど「未来からの提案」の影響力が強く、日本では古い技術を使うよう求める「過去からの要求」に縛られている。 https://t.co/rdbdzSgIVz
— 木村岳史(東葛人) (@toukatsujin) 2023年3月12日
これを聞いてなるほどと思いながらも反論として頭に浮かんだのがAppleの存在だった。
Apple製品の利益率の高さは販売価格に対して原価が安いから成り立つが、その原価の安さに貢献することとしてよく聞く話が『枯れた技術』の話だ。
構成する要素のすべてが最先端というわけではなく、あらゆるトラブルやネガティヴ要素が潰され極めて安定的に動作するという少し旧い技術が枯れた技術で、この技術を上手に活用することで原価の低減を実現し、ポイントポイントには新しい技術を活用することで、体験は最先端を実現する。
枯れた技術にしがみ付き安定の高さを誇っても、体験に新しさの演出がなければ陳腐なだけだ。
陳腐の反対語は新奇や斬新。
新奇や斬新は、過去をベースに発想するものというよりも、むしろ突然変異に近いだろう。
突然変異のおもしろいところは、過去の積み重ねの上に生じるのだが、過去の積み重ねを断ち切るところだ。
突然変異を異常なことと考えると否定し排除されるが、突然変異こそが新しい未来であり希望だと思えると見え方がまるで違ってくる。
突然変異に対する許容度と外来種生物に対する許容度は似てるようにも感じる。
外国人や移民の受け入れなどとも共通するだろう。
友好的に感じる場合もあれば敵対や脅威の対象になることもある。
恐れる必要があるものを恐れないことは問題だが、恐れる必要がないものを恐れることもまた問題だ。
生態系の安定を優先する思いが強いと突然変異や絶滅を恐れるようになるが、それは過去からの連続性に対する執着でもある。
良いとか悪いではなく、自分がどちらのタイプかを再確認するのは意味がありそう