iPhone15の話題がニュースになってる今のタイミングでYouTubeが日本で最初のiPhoneが発売された時のニュース映像をおすすめに挙げて来た、15年前だ。
あの頃はまったく興味をそそられなかったことを覚えている。
今見ると、とてもおもしろいと感じた。
古いといえば古いが、最初から一定の完成度を備え且つ新時代への提案となっていたことに今だったら気付ける。
しかし、当時はそうは感じなかった。
何もかも新しいものが未来を感じさせるわけではない。
テクノロジーが絡む界隈では、最新を支える肝心要は枯れた技術であることが少なくない。
枯れた技術とは、ベースになる理論は決して最新ではなくても、長年に渡る技術的な不都合を徹底的に解消したことでシステムとしての安定性や信頼性が抜群なものを指す。
最新のナノテクノロジーなどが脚光を浴びがちだが、それを活かせてるのは枯れた技術があればこそだったりもするだろう。
15年前のニュース映像を見て、時代の進歩は凄いと感じる人も少なくないかもしれないが、わたしはこの15年の進歩は予定調和の域を抜け切れてないなと思った。
そういう意味では自動車も似たような存在なのかもしれない。
デザインやエンジンの性能、最近だったらハイブリッドからEVへのシフトなども進化を感じさせる要素だと思い込む人も多いかもしれないが、わたしには結局車を支えてるの黒いタイヤだと思えてしょうがない。
タイヤもサイズやスペックでいうとものすごい進化をしてるのだが、誰が見てもタイヤは今も昔もデザイン的にはまったく同じといって良いはず。
最初に登場した時から完成されていて、その後は予定調和な変更がされてるだけだ。
日進月歩を当たり前のことだと思うことにすっかり慣れきってしまってるが、肝心要は意外と変化しないし変化できない、そういうことの方が当たり前なのかもしれない。