野球が好きではない人や流行が苦手な人はWBCが終了してさぞかしホッとしてるだろう。
そんな人たちにも役に立つかもしれない。
WBC決勝戦直前の円陣で大谷翔平が発した言葉は、今後名言として語り継がれるかもしれない。
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「僕からは1個だけ」
「ファーストにゴールドシュミットがいたりとか、センターみたらマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたりとか、野球をやっていれば誰しもが聞いたことがあるような選手たちがいると思うんですけど…」
「今日1日だけは、憧れてしまったら、超えられないんで、僕らは今日超えるために、トップになるために来たので、
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似たようなことは昔から言われていて、師弟関係で師に対する尊敬や憧れの思いが強過ぎると、師を越えることはできないなどと。
目標として設定してる人を持ってる場合、その人に対する憧れや尊敬は持っているのが当然だが、それよりも気になるのは憧れられ尊敬される側の意識だ。
憧れや尊敬を、収入に置き換えればビジネスの話としてお馴染みだし、ビジネスになると弟子に追い抜かれることを許容できずに嫉妬したり嫌がらせをする師という存在は至る所にいるはず。
自分に注がれてる憧れや尊敬に見合ったアウトプットやパフォーマンスの発揮ができているかに関しては、超自意識過剰にならざるを得なくなるはず。
要になるのはありふれた表現をすれば、プレッシャーだ。
一般的なプレッシャーは、その時々の状況やシチュエーションによって起きるピンチやチャンスをイメージしやすいが、憧れられ尊敬される人は人からは見えないようにしながらも常時プレッシャーを受けているのだ。
憧れてる限りプレッシャーに晒される頻度は少ない、常時プレッシャーを受けてる人とでは克服した困難の質も量も違う。
プレッシャーの対義はリラックスとされるが、実際にはこの二つはまったく異なる要素として常に共存関係にある。
常時プレッシャーに晒されながらも結果を出し続ける人だと、プレッシャーとリラックスの両立が可能なのだ。
また、プレッシャーによく似たものにはストレスもあるが区別しても意味はなさそう。
憧れや尊敬は、挑む際の自意識に作用する。
投手と打者の二刀流なんて無理だと言われ続けた大谷翔平にとっては他の選手とは質も量も違うプレッシャーが課され続けたはず。
そんな逆境で二刀流を正当化させ、かつ好成績を上げ、さらにメジャーに移ってからは二刀流を貫けるようにとルールの改正まで行われた。
このルールの改正は行われたものだが、実質的には適用されるのは大谷翔平一人だけという意味では、行わせたに等しいし、それはまさに勝てば官軍だ。
プレッシャーやストレスは悪だとされるのが現代だが、もし環境が幸いすればプレッシャーやストレスは武器にも味方にもなるのだ。
プレッシャーやストレスを必要以上の重荷に感じさせるのは自意識以外の何者でもない。
自意識を過剰にさせるのが憧れなのだ。