PCやiPadのサイズ感がちょうど良かった私にとってスマホは長らく小さ過ぎて魅力を感じなかったのでガラケー派だったが、時代の波には勝てずにスマホを持ったのが3年前。
使うには小さ過ぎるが、手軽に持ち歩くには大き過ぎるスマホにすぐウンザリするとともに、そんな中途半端さを補完するものとしてスマートウォッチに惹かれていった。
バイタルデータを取得する健康モニター的な機能はおまけでスマホはバッグにしまった状態で着信を知るために。
腕時計を手につけるのが鬱陶しいと感じる性格で、腕時計を必要とするときは受験や資格試験の時だけだった。
腕時計をしてなくて時間を知ることに不便を感じることは昭和から平成初期の頃だとほぼなかった。
知りたい場合、周囲をぐるっと見渡せばどこかに時計が見えることは多かったし、時計が見つからない場合は近くにいる忙しくなさそうな人に聞けば教えてもらえたから。
ガラケーを使い始めると、ますます腕時計は人生に必要ないものになった。
そんな私が今はスマートウォッチを毎日使っていることを改めて不思議に感じたのでこんなことを書いている。
スマホの登場以前は存在が揺るぎなかった商品の地位が、どんどん脅かされている。
カメラなんていうのはその代表格で、撮影してその後編集加工したりプリントするなど一連の作業はトータルするとカメラを独立して持つことが不便以外の何者でもなくなった。
スマートウォッチというジャンルは、そんな流れの中で生まれた奇跡のような隙間かもしれない。
そして現在スマートウォッチは各種のバイタルデータの取得が主目的になり、積極的な健康志向を後押しするためのツールになっている。
スマートウォッチは、スマホと敵対するのではなく親和し親機と子機のような関係であり、惑星とその周りを回る衛星の関係のようでもある。
一体それが何の役に立つんだと思われがちなのがビッグデータだが、IoTのようにセンサーを設置して取得するものから、身に付けさせて取得するものまで拡大している。
検索してると来たる大阪万博では来場者から各種のバイタルデータを取得するらしいというツイートがあった。
万博でバイタルデータを収集するのも、外国人向け医療ツーリズムに利用するのも反対なので、万博には行きません。ただ賛成する方は行けばええと思う。
— 大津皇子 (@Prince_Ootsu) 2023年1月14日
他人に対して「嫌なら来るな」と悪態つくのは全く理解できひんわ。あなた方は賛成の立場なのでしょ?何を守りたいのか、不思議でしょうがない。 pic.twitter.com/LvWt3Xu244
このような話を聞くと、そのうちに詐欺も親機と子機の関係のような、惑星と衛星の関係のようなものが主流になりそうな気がしてくる。