表現の(不)自由が話題になっている。
舞台は、国際芸術祭あいちトリエンナーレ2019。
芸術監督は津田大介氏。
上記の解説から肝になる部分を抜き出してみると。
あいちトリエンナーレを企画するに当たり愛知県から要求されたことは次の3点だと説明。
そして、その要求に沿うテーマとして情を選択し、その理由を次のように説明している。
その結果生まれたのが「表現の不自由展・その後」、そしてこで展示された平和の少女像。
平和の少女像は韓国の従軍慰安婦問題を象徴し反日の姿勢を示すとされていて、日本人には平和なものには思えない人が多いのだろう。
そこで非難が殺到し、脅迫状が送られるに至って展示が中止された。
この一連の流れの中で、Twitterなどを見てると津田大介さんへの個人攻撃が多いように感じていた。
そこでGoogleTrendsで直近7日間の「津田大介」「あいちトリエンナーレ」「表現の自由」「表現の不自由」「平和の少女像」を比較してみた。
こうして比較すると、やはり津田大介さん個人への反応が圧倒的だということが感じられる。
ちなみに、「平和の少女像」はほかに「従軍慰安婦」に関連するワードでも比較したが、どれも反応は低調だった。
典型的なノイジーマイノリティの大騒ぎなのだが、そこに政治が関与してるところが如何にも日本的だ。
世の中には、表現の自由以外にも自由とセットで語られることがたくさんある。
代表的なものに、
- 言論の自由
- 宗教の自由
- 集会・結社の自由
- 職業選択の自由
などがあるが、いずれも不自由だった状態から取り戻した自由なのだが、自由が当たり前になると、自由を封じ込めようとする自由が出現してくるようだ。
一方に存在する自由を封じ込める場合に機能するのが、不愉快を強いられるという意味でのハラスメントを拡大解釈すること。
ハラスメントを訴える声を集めると、本来の自由の良さが脅かされることに繋がりかねない。
ハラスメントは、もともとは弱者が強者に対抗するものだったはずだが、強者が弱者を抑え込むためにも活用されるようになっているような気がする。
わたしは、津田大介さんの名前は知っているが、活動をほとんど知らないので、津田さんのアンチが何を嫌がっているのかを十分に理解できない。
しかし、津田さんを攻撃するアンチは声は大きいが勢力としてはマイナーな少数派だと思える。
政治を含めた強者の意を受けて活動してるノイジーマイノリティが、ハラスメントを武器に自由を封じようとしてるように感じられる。