なるほどと思えるツイートがあった。
概念的な整理。経営がその会社で働く人やその先の顧客を「搾取(TAKE)」の対象とし、少ない時間/労力でより多くを得ようとすると価値の連鎖は一方通行になる。一方で「支援(GIVE)」の対象とするとその価値は「循環」する。最も重要なのは、どちらも「経営と組織の関係」が起点になっていること。 pic.twitter.com/tC6Mvya4H0
— Kenji Tomita (@tommygfx90) 2023年3月4日
ここで搾取と表現されてることは、循環に対応するという意味では一方通行の方がしっくり来そうに感じる。
人間に私利私欲はつきもので程度の差はあっても誰でも持ってるもの。
私利私欲に取り憑かれると、一方通行で自分が利を受けることばかりを望みがちだ。
しかし、自然や地球を相手にする限り、その相手が生態系である限り一方通行の利は成り立たない。
人間関係も生態系だ。
上から下に流れる水(淡水)は独占することはできない、なぜなら蒸発することでの循環が避けられないから。
群れで生きる狼の集団から追い出されたいわゆる一匹狼は、エサの獲得が難しくなり、あるいはかつての仲間に追い立てられることで生きていけないとされる。
一匹だけの一生を追いかけると確かに一匹狼は生きる事が困難という一方通行の結論に至るかもしれないが、もっと長期にわたる種としての動きを俯瞰で見ると全く別の姿が見え、それは循環を感じさせる。
群れを追われた一匹狼と、狼に家畜を襲われ困っている人間の利害が一致するのも循環の成せる技(業)だ。
人間と利害を一致させた一匹狼は犬になって生きる道を選ぶことになるのだが、それは俯瞰で循環という視点を持てばこそ見える現象で、一方通行の視点しか持ってなければ気付かないことだ。
最近の犯罪の現場の実行犯がまるで一匹狼の寄せ集めに思えるとすれば、彼らを追い出した側があるということでもある。
人間関係を生態系だとすると敵の敵は味方だからこそ循環が成立する。
最近は人手不足を嘆く声が多い割には、安くこき使うということはやめようとしない。
敵の敵は味方だろうと期待しても、現実はどいつもこいつも敵だらけ。
敵の敵もやっぱり敵だった、となれば息が詰まることは間違いない。